エンジェルダスター





「じゃ、次いくね〜。オリオン座の一等星ペテルギウスの直径は太陽の何倍か〜?」
椅子に縛り付けられた女の頭に銃口が当てられる。
「そ、そんな事…、知るはず」
「あれぇ?わかんないなら引いちゃうけど〜?」
女の身体が硬直すると、目が吊り上がった。
「ご、5倍!」
「ブブ〜、残念。3000倍。じゃ、いくね〜」
女の瞳孔が縮む。
……ガチッ!
「ひっ!」
「またハズレちゃったかぁ〜。まぁ、その方がオレも楽しいけどね〜」




女は夜中の帰宅途中、突然後ろから何かを嗅がされ一瞬にして意識が落ちた。
人気のない通りだがいつも通る道であり、完全に無防備だった事を悔いる間もなかった。
気がつくとそこは閉鎖された殺風景な一室。椅子に縛りつけられていた。
「あはっ!やっと気がついた?クロロホルムって、嗅がせすぎると昏睡しちゃうから、どれくらいかよくわかんなかったんだぁ」
「ここはどこ!帰してください!」
「ダメだよ、それは。ここは地下倉庫の一室だよ。叫んでも外まで何重ものドアに閉ざされてるから無駄」
男の年齢は20代前半くらいだろうか?口元だけバンダナを三角に折って隠しているが、それでも知り合いにはいない顔だという事はわかった。
「誰、あなた!わたしはあなたなんて見た事…」
「そんなの知らないよぉ。オレだってお姉さん知らないもん」
「通り魔…?」
「それならそれでもいいけどぉ?でも、ちょっと違うかなぁ〜」
身動きを無理にとろうとしたが、椅子にガチガチに縛り付けられ、椅子ごと転げそうになった。
「ダメダメ。これから、ゲームするんだから暴れないでよ」
「…ゲーム?」
男がピストルを出し、女の目の前でじっくりと見せた。
「本物だよ」
タァーン!!!
コンクリートの壁に向かって発砲。
硝煙の臭いが漂い、壁の一点からかすかに煙があがっている。
『ウソ…!』
ロシアンルーレット、知ってるよね?弾丸ひとつだけ弾倉に入れて、こうして回すんだ。始めの確率は6分の1、ハズレたら次は5分の1…。それを二人交互にやっていくってやつ」
次第に男が正常でない事がわかってきた。しかし、何が目的かまでは女にはわからない。
「違うのはね、お姉さん一人でやるんだ。そしてハズレた場合また回す。つまり、確率はずっと6分の1だよ。6回以内で必ず『当り』になるワケじゃないんだ。楽しみたいからね〜」
男の背後にビデオカメラが設置されている。女の姿に向けて撮られているようだ。
男は銃口を向けたまま近づいてきた。
「ひぃ!」
「オレの目的は〜、殺す事じゃないんだ。まぁ、いつかはそうなっちゃうんだけどね〜。恐怖に引き攣って怯える顔…、そう…そんな顔を見て楽しみたいんだぁ」
『異常者だ!狂っている、この男!!』
「これからオレが問題を出すから、不正解だったりわからなかったらトリガーを引く。100問正解したらお姉さんの勝ち。逃がしてあげるよ。でも難しいよねぇ、いつまで6分の1が持つかなんて。確率じゃ6回不正解なら…『バーン』だからね〜」
女は命の危機に晒されていることを実感した。足元が宙に浮いたような、これまでに体感したことがない不安定さを感じる。
顔色を紙のように真っ白にすると、ガタガタと痙攣するかのように震えだした。
『殺される!これまでロクでもない人生だったけど…。地味でいつも貧乏クジばかりの人生だったけれど、こんな終わり方なんて!』
女はこの理不尽な状況と、これまで歩んできた半生を呪う。
そんな事にはお構いなく、男が隣へ立つと無慈悲に弾倉を回した。
「じゃぁ、第1問目〜。経済学の父『カール・マルクス』の有名な著書は?まず、簡単なサービス問題だよ」
「そ…、それは。……わかりません」
「ぇえ〜?常識だよ。まぁ、いいや」
冗談ではないのはわかっていたが、本当に頭に銃口を当てられると、強烈に「死」を意識した。
「ひぃ!ひぃ!『経済学ノススメ』!」
「あはははははっ!諭吉じゃん。お金、好きなの?『資本論』。これくらい知っておこうよ。お姉さん成績良くなかったの〜?」
その通りであった。女は学生の頃から成績は一般水準より劣っていた。
「死んじゃえ!バーカ」
トリガーが引かれた。




弾倉を弄ぶように回しながら、男はつぶやく。
「お姉さん、運だけはいいねぇ。頭はカラッポだけど」
自分の不運さなんてイヤというほど味わってきた。それはこの時の為に貯められていたのだとしたら、なんて無意味な事だろう。
「よしっ!じゃ、え〜っと次だよ。楽器のクラリネットとサックスの指使いは同じなんだ。そこで問題、クラリネットの『ド』の指はサックスじゃ何の音階か〜?」
これは……、7択だ。
「『ファ』…?いえ、『ソ』…」
ピンポン!正解〜。これでやっと2問正解だねぇ〜。あと98問だよぉ」
気が遠くなる。勘だけでもつ次元の話じゃない。
これでもう何問目だろう、いくらなんでもそろそろもたない。次あたりは…。
その時、女は自分の死体を見た気がした。
頭から血を流し、だらしなく横たわる死体…。戦場やテロ現場などの写真で見かける様だが、それは自分の顔をしていた。
震えあがる。
「あっ!…あの!」
「ん〜、何?」
「トイレ…。トイレくらいは…」
溜息をつきながら男はピストルを机の引き出しにしまうと、代りにナイフを取り出し、縛りつけていたロープを切った。
そして倉庫隅まで歩くとドアノブを蹴る。ドアノブは脆くも「ガシャッ!」と床に落ちた。
「ここがトイレ。鍵はかけられないから」
発作的に凶暴な素振りをする男。ナイフを手にしている相手だ、下手に逃げようとしたり飛びかかったらどんな残虐な殺され方をするかわかったものではない。
「1分だけだから。1分経ったらお姉さんがどうであろうとドアを開けて引き摺り出すからね。はい、スタート!」
女は転げるように、慌ててトイレに入る。
用を足しながらあたりを見回したが、地下室のトイレには当然窓もなく、換気扇すらない。反撃に使えるような物…、塩酸どころかブラシひとつ見当たらない。


「あと10秒!!」
男の声の様子がおかしい。明らかに怒気を含んだ声だ。
「8!7!6!…」
女は出るのを怖れた。一体、何が…?
「ゼロ!」
と同時にドアが開かれると、二人はばったりはち合わせた格好になる。
男は口元のバンダナを解いていた。明かされる男の素顔。
無精髭で前歯がない口を歪めると、歯をギリッと食いしばった。脆くなっていたのか歯が砕け、床に落ちた。
男はドアに拳を思い切りぶつける。
「ちくしょう!トイレに行かせたのは失敗だ!!」
「ど…、どうして。わたし、逃げてなんて」
「違う!恐怖のあまり失禁する様の顔がどんなか撮り損ねたんだ!ちくしょう!!」
異常者が何を考えているかなんて到底理解できはしない…。
男は「ちくしょう!ちくしょう!」と繰り返しドアを殴り続けブチ抜いた。
血まみれの手でポケットから小瓶を出すと薬らしいカプセルを飲み込んだ。



「くっ、苦しい!もっと緩く!」
椅子に縛る縄を力任せに巻きつけられる。
「うるさい!とっとと再開だ!今度こそ一発で決めてやる!!」
先ほどより、何倍もの圧迫感で息が詰まる。
少しでも緩めようと身じろぎした時、女はとんでもない事に気がついた。


「さぁ、いくぞ!問題!弥生時代の集落跡『登呂遺跡』があるのは何県!」
静岡県!」
小学生の問題だ。
片隅の資材を蹴り上げた。
男の息遣いが荒い。コンクリートの壁に頭突きを数回すると、急に踵を返し机の引き出しを開け、弾丸を込めると壁に向かって立て続けに発砲。
「『ダニエル』は邪魔するなよ」
弾倉を確認すると、女に視線を向けた。
「…まだだ。まだ97問あるんだ…。は、ははははは」
男の手が小刻みに震えている。
「次!赤いサファイアを俗になんて言う!」
「ルビー…」
急に問題が脆弱になる。男の精神状態は退行しているのだろうか?
「次…、次だ!カンブリア爆発期の捕食動物連鎖の頂点、アノマロカリス…。クソッ!答言っちまった!」
激しく頭を掻き毟る。
再びポケットから小瓶を出すと、震える手でもどかしくカプセルを数錠飲もうとしている。
『チャンスだ!』
女は足元のロープを一気に解くと、椅子にくくりつけられたまま男に体当たりをかました。
男は不意を突かれ吹っ飛び、無様にコンクリートの壁に顔面から激突した。
すかさず身体のロープをほどき、手放したピストルを拾い上げ構えジリジリと間を詰める。
……………。
男は動かなくなっていた。気絶したようだ。


女を縛りあげた時、男はあろうことかロープをリボン結びにしていたのだ…。



男を縛りあげると、女はその場にぺたんと腰を落した。
小瓶が落ちている。
なにげに手に取ると紙質の悪いラベルにマジックで『Angel dust』と乱雑に記されていた。


元は手術用麻酔薬として開発されたが様々な弊害があり、使用を全面的に禁止された。
行動が粗暴になり、幻覚作用はLSDの比ではないという。
常用すると痛みを感じない為、幻覚に惑わされ異常な行動を現す。
もちろん日本では入手は不可能だが、アメリカでは危険なドラッグとして闇売買されていると聞く。


女は精神を患っていた時期もあり、薬について調べているうちにそんな知識を身につけていた。
『幻覚剤…、か。痛みを全く感じない』
故郷の山並みを思い浮かべる。
幼かった頃…、女学生の頃…、そして上京した現在。
『痛かった。ずっと痛みのある人生だった…』
どれだけ一生懸命になろうとも、誰も認めてくれる事はなかった。
真面目に取り組む自分よりも、要領よく振る舞う者達方がいつだって慕われていた。
愛しても愛しても、どんなに深く愛しても届かなかった想い。
どこに行くのか、自分は何になるのか、生きてゆく目的すらも見失っていた毎日…。
天井を仰ぎ目を閉じ、ゆっくりと深く呼吸をする。
『夕日が…、緋い…』


女はカプセルを口に放り込んだ。




「む…!くっ…、これは?」
椅子に縛りつけられた男。
「ふふっ。気がついたぁ?…おはよう」
「あっ!オマエー!何の真似だ!」
女はピストルの銃口を男に向けた。
「アンタ、始めっから弾なんて入れてなかったんだぁ…。わたしが恐怖で狂ってゆく様子だけを撮るのが目的だったのかしらぁ?」
「………」
男は床に唾を吐きかけた。
スッとピストルを戻すと、女はひとつ弾丸を入れ弾倉を回す。
「!!!何のマネだよ」
ロシアンルーレット。ずっと6分の1の確率の、ね」
「冗談はよせ!オレは殺す気がなかったのはわかっただろう!」
「でも、それ以上の事をしたわぁ」
女はセットされていたビデオカメラを蹴倒し、踏みにじる。
力任せに何度も踏みつける様は狂気じみていた。タイトスカートの裾が音をたてて裂けた。
「アナタがどういうつもりでこんな事をしたのかなんて、わたしにはもうどうでもいいの、変態さん」
結った髪をほどくと、頭を掻き毟った。
ボサボサに乱れた髪は、男に対し悪魔のような様相を思い起こさせた。
「でも、心に巣食うモノは同じだったみたいね。わたし、人間に復讐したくなったのぉ」
「ここここここ殺したら殺人だぞ!ひっ、ひとごろしだぞ!捕まるぞ!た、逮捕…」
「そこまで先の事なんて考えてないわぁ。今は問題を考えるだけ、悪い頭でね」
弾倉を回転させ、ゆっくりと銃口を男に向けながら近づいた。
「むぅ…。くっ、オ…、オマエなんかの知識くらいの問題なんて!」
強がる男に対し、女の眼が緋く妖しく光る。


「それじゃ、第1問…。わたしの生年月日は?」