ドブネズミ





カントクが死んで2週間くらい経ったろうか?
浮浪者にとって暦など関係はない。幾日前かなど、いちいち数えはしない。その日が暑いか寒いか、晴れか雨か。それだけだ。
強いて言えばファミレスなどの残飯の関係上、曜日には気を使う程度だ。


カントクは何者かに襲撃された。寝込みを鉄パイプのような物でメッタ打ちにされたようだ。俺が人だかりの中、少し垣間見た死体には「顔」がなかった。顔面を特に集中的に潰されていた。
血まみれになったいつも着ているジャージからカントクとわかる程度だ。
どうやら「浮浪者狩り」ということで捜査が進められているらしい。


……狙われたのはおそらく、俺。
あの夜、カントクはいつもの寝ぐらである高架橋の上で夜間工事があり、「うるせくて寝られやしねぇ。兄さんとこ貸してくれや」とやって来た。
返事も待たずに、勝手に眠りこけてしまっていた。疲れていたのだろう。
俺の住み家はそんなに広い場所ではない。


しかたなく黄色い向日葵模様の半纏を羽織り、俺はカントクが寝ぐらにしている高架下に行ったが、工事の騒音などたいしたものではなく、そこで一夜を明かした。
カントクはこういう騒音に敏感だったようだ。そしてそれが災いした。
暗闇の中、俺の寝ぐらでカントクは惨殺された。電灯で照らせば感づかれ騒がれると考えたのだろうか?
そこにいるのは俺だと思い込んで叩き殺したようだ。
そうして「犯人」はしくじった。


カントクは無縁仏として荼毘に付された。俺は少々の事ならカントクの素性は聞かされていたが、面倒な事に関わりたくはない。
そもそも狙われたのは俺なのだ。タレこむのは危険だと感じた。


浮浪者生活をするようになって3年…、いや4年くらいか?夏頃には夜逃げしたアパートにいた記憶がある。それが何年前になるのかよくわからない。
わかっているのは、今が真冬だという事だけだ。
クリスマスのイルミネーションが姿を消して幾日も経っている、年明けムードも薄れた感じがする。


東京に上京し、職をいくつも転々としているうちに生活が窮屈になってゆく。
故郷には年の離れた姉がいるが、嫁いで何年にもなる。もうどれくらい会っていないかも覚えていない。俺が浮浪者になっているとは夢にも思っていないだろう。
両親は交通事故で亡くした。俺が高校の時だ。家はガキの俺を追い出すように親戚連中に「食いつぶされ」俺は高校を中退して、故郷を捨てこの大都会で一人生きてゆく事になった。
世の中甘いものじゃない。ガキだった俺は多くの人間に騙された。借りていない借金の借用書の写しが届いた事もあった。ヤクザに袋叩きに遭ったこともある。
それまでいくつの職に就いたのか数え切れない。
家賃を滞納して夜逃げし、そうして浮浪者生活が始まった。



1ヶ月くらい前だろうか?この街に流れ着いてカントクと知り合った。
堅気の頃は、大手ゼネコンの現場監督を任されていたそうだがリストラに遭い、事業に失敗して女房子供にも逃げられたと聞く。


「兄さんは31って言ってたか?」
「まぁ、だいたい。…今年は西暦何年だ?」
「知らねぇなぁ。知ったところで、どうってこたぁねぇや」
カントクは俺よりこの生活が長いらしく、やはり時間感覚は麻痺している。
「まだまだ、いくらでもやり直しが利く年だ」
「いや、ここまで落ちたら終わりスよ。今さら這い上がれやしねぇ…」
「オレなんざどうなる?野垂れ死ぬのを待つだけだ」
「他人事じゃないね。いずれは俺も…」
「何言ってやがる。じゃ、オレと年を交換するか?かっかっかっ」
笑うカントクだが、可能なら年齢を売り飛ばしたいくらいだ。


同じ浮浪者仲間とはいえ、食いぶちに関しては「敵対関係」にあると言ってよいくらいシビアな世界だ。自分だけが知る穴場を荒らされる事は食いっぱぐれる事になる。
それでもカントクは大まかな情報をくれた。この街に来たばかりの俺には正直助かった。
カントクはカントクで放置自転車を盗んでは、バラして使える部品でチューンアップさせた1台を完成させると、街の外国人らに売っているようだった。俺より羽振りはいい。
カントクにとって、工具箱は「宝箱」に等しい。いつも持ち歩くか、どこかに隠していた。
…そしてそれが現場から消えていた。
―何の為に?―



「浮浪者狩り」ではないと確信したのは数日前。
酔いどれで賑わう盛り場で襲われた。
人混みの中、「殺気」を感じた。不意に振り向こうとした時、脇腹をかすめるように刺された。半纏の綿がこぼれ出る。
『まだいる!』
特殊な能力だろうか?
いや、人が人を殺めようとするほどの気配、普通ではない「空気」は察知できるものだろう。
その昔、忍者や暗殺者はそんな「気配」を消す事のできる特別な者だったのではないだろうか?普通の人間にはその殺気を消す事は難しい。
そっちの方が特殊な能力なんだろう。


「わはははははは!」
男が倒れこみぶつかってきた。
『来やがったか!』
肩を捕まえ、殴り飛ばした。
が…、ただの中年サラリーマンだった。俺の形相に恐れ、腰を抜かして立てずにいる。
「す…、すみません…」
怯えて謝っている。コイツは違う。
仲間らしい連中も固まって、動くどころか声すら出せないでいる。
―いつの間にか殺気は消えていた―


一度目は人違い。二度目は感づかれて失敗。
やはり狙われているのは俺だと確信した。



その夜……
事件前と同じになった殺害現場の俺の寝ぐらだった場所に佇み、考えを巡らせていた。
こういう流れ者になるには、誰だって話せない事情のひとつやふたつくらいあるはずだ。
『カントクは本当に俺と間違えられたのか?』
カントクにだって話せない過去くらいあっただろう。
出会って数週間で逝っちまった。
―もしかしたら、狙われているのは俺達二人だったのかもしれない―
一人目は始末した。次は俺の番という事も考えられる。


『雪が降ってきやがった…』
浮浪者にとって、雨や雪は天敵だ。体の向きを変えたとたん肩に激痛が走った。
「痛ぅ!」
『スリングショット?狙ってやがる!』
いわゆる「パチンコ」だ。殺気に気づくのに遅れたのは不覚だった。
ガサッ!!
二発目がすぐ横の植え込みに打ち込まれた。
『近い!至近距離だ!どこだ!…いや、この間合いは危険だ。命中しやすい上に、頭に食らったら致命的だ』
走り出したとたん、さっきまで俺が立っていた辺りの空を切り立木に当たると乾いた音を響かせた。


『冗談じゃねぇ!!どうして?』
走りながら狙われる理由に考えを巡らせた。
『なぜ俺が狙われる?』
謎だらけだ、何ひとつ解けちゃいない。
『どうして!』
暗闇から抜け大通りの人混みに紛れた。「肉の壁」これなら安易に打ち込めないはずだ。誰に当たるかわからない。通行人に当たれば大騒ぎになりかねない。
スナイパーとしては絶対に避けなければならないはずだ。


「はぁ……はぁ……はぁ……」
息があがる。が、とりあえずここに身をおけば少しは時間をかせげる。
『しかし、一体誰だ?俺こそ人違いで狙われていはしないだろうか?それとも、本当に無差別な浮浪者狩りか?』
いや、それにしては完全に俺を標的にしている。やはり狙いは俺か!
『待ってくれ、理由がねぇ。浮浪者の俺を殺して何になる!』
人混みを縫うように「犯人」から逃れようとした。
理由に気をとられすぎた。瞬間、殺気を感じて身をかわす。が、背中を刺された。
完全には届かなかったようだ。傷は浅い。
『ちっ!見つかったか!』
半纏に出血した血が染み込んでいるだろう、回りの者はなぜ気づかないのか。凶器を何かで隠していたのか、俺が刺されたのは誰も見ていなかったのだろうか。回りは皆無関心だ。
人混みをかき分け走り出す。こうなるとこの場所は危険だ。


走りながら
『そうか!あそこなら』
逃げ場を思いつくと雪が舞い散る中、一目散にその場を目指す。


…カントクの寝ぐらだった高架橋下。
板で囲まれている為、スリングショットの威力もよほど近づかない限り効果を発揮しない。
そして、回りに隠れ場所がない。後ろはコンクリートの壁だ。前にだけ集中していればいい。
つまり、姿を見せない限り俺を襲う事はできないのだ。


そして、意外な声を聞いた。
「ようやっと追い詰めたで」
『関西弁?…いや、それよりこの声は!』
「カントク!…まさか、アンタが!」
「そうや。ワシや」
暗闇の雪の中からゆっくり姿を見せたのはまぎれもなくカントクだった。
「死んだはずだ」
「フン…。浮浪者の身元確認なんぞ、ええかげんなもんや。ドブネズミが一匹死んだところで特定なんせぇへん。背格好が似たもんにワシのジャージ着せといたら、それはワシや、顔さえ潰せばな」
…そうだ。考えてみれば、なぜそこに拘らなかったのか?「犯人」はあの暗闇の中、なぜわざわざ顔だけを集中的に潰したりしたのか。…そういう事か。
「じゃ、あれは…」
「同じ浮浪者…、知り合いのドブネズミや。ワシが殺した」
じりじりと迫るカントクの手には文化包丁が握られていた。ガキが持ち歩くチャチなサバイバルナイフなんかよりずっと殺傷能力は高い。
カントクは微妙な間合いで立ち止まった。
「お前からワシの存在を消す必要があったんや。一人殺すのも二人殺すのもついでや。事前に逃げんように、あえてこの街の情報もお前に流したったわ」
「…そ、そんな事はどうでもいい!なぜ俺を!」
「…せやな。ここにお前が流れて来た時は驚いたもんや。まさか同じ浮浪者に成り下がっておったとはな。しかも、ワシを覚えとらんとくる」
そうだ。俺はこの東京に来てから、あまりに多くの人間と関わりすぎた。風貌が変わってしまえば誰だったかなんて覚えていない人間なんざごまんといる。
「一応、気ぃつかれんよう標準語で喋ったったわ。…どや?まだワシが誰かわからんか?」
「知らねぇ!俺に殺される理由は…!」
「お前は覚えとらんでも、ワシには理由がある。こんなドブネズミになったのも、皆お前のせいや!」
「俺は工事関係の仕事なんざしちゃいねぇ!」
「アホか。あないな話は全部ウソにきまっとるやろ」
…それもそうだ。素性を自分から明かすはずがない。
「それじゃ一体…、アンタは」


不意に数人の若者らしい声が遠くから迫ってきた。
「こっちからじゃねぇの?」
「ケンカだろ?とばっちりは御免だ、ほっとこうぜ。寒みぃよ」
「バカ言え、面白れぇじゃねぇかよ!行ってみようぜ!」
野次馬の若い連中数人が、俺達の大声を聞きつけたようだ。
「ちっ…。邪魔が入りよったか」
『バカめ!敵に背中を見せちゃ終わりだぜ!!』
俺は密かに握り締めて隠していた鉄パイプを後頭部に叩きつけた。
「がっ……!!!」
二撃!三撃!四撃!…。息の根が止まるまでの乱打。殺らなければ殺られる。
声が間近に迫ってきている。カントクも動かなくなっていた。
『死んだか…』
物証になりそうな鉄パイプと文化包丁を握り締め、その場から走り去る。
しばらくすると遠く若者達の騒ぐ声が聞こえ、それを背に受けながら走る。
雪は吹雪のように舞い狂っていた。


人気のない場所で川に凶器を投げ込んだ。
『ドブネズミ…か。カントクも死んだところで浮浪者狩りの仕業にされるだろう。鉄パイプでの撲殺。手口は同じだ』
しかし…
俺には結局カントクが誰だったのか、何の恨みをかっていたのか、全て闇の中に消えてしまってわからなくなった。


……そんなものかもしれねぇ……


カントクは言った、「お前に覚えがなくともワシにはある」と。
人間どこで誰の恨みをかっているかなんて気づかないものだ。
狙われる者にとってはわからなくとも、殺意を持った者は虎視眈々とその機会を待っている。
こうしてドブネズミに成り下がり失うものがなくなった時、その殺意は表面化する。
かく言う俺も殺してやりたい人間くらいいる、その機会さえあれば。


雪の中、明かりに照らされる繁華街の方向を見た。
街のあの辺りにもそんな憎悪が渦巻いているはずだ。
俺はドブネズミの目で喧騒としているおぞましい街を見ていた。


降りしきる雪はそれを隠すかのように激しく舞っていた…。