S・O・S





木の幹に「正」という文字が刻みこまれた。
私がこの無人島に漂着して今日で5日目ということになる。
昨夜は孤独からだろうか、家族の夢を見た…。
救助隊が来るのには遅すぎるほどの時が経っているが一向にそんな気配はなく、今朝もよく晴れた空には果てなく青空と白い雲が浮かんでいるだけだ。


「東の浜」に行くのは毎日の仕事だ。
海流の関係だろう、この浜には様々な漂着物が流れ着く。たいして遠くはない場所に人の住む陸地があると思われるのだが…。
私がここに流れ着いた時に森の中でクーラーボックスを発見した。かつて人が来た島であるのは確かだという事ではないか。
……ただ、それが何年前になるのかわからないのだが。
中には腐敗し乾燥した小魚の残骸と一緒にナイフが入っていた。何の合金か錆びて使い物にならないほど劣化はしていない。石で丁寧に研ぐと見事なまでの切れ味を取り戻した。
このナイフは私にとって命綱のような物となった。もちろん手入れは毎日欠かさない。
そしてこの「東の浜」に漂着する『宝』。
ペットボトルに水を入れ日光を一点に集中させ、ナイフで削った枯れ木屑で火を起こすこともできる。海水を煮たてて蒸発させ、真水を作ることも可能だ。
なにしろこの浜には使えそうな物が多く漂着するのだから。
そのまま使える釣り竿、網、一斗缶…。未開封の菓子袋もあったが、これはおそらく私が乗船し転覆した船からのものだろう。
しばらくこの島で生きてゆくことは可能だ。


今日も私は竈で切り出し屑に火をつけ、煙を上げた。




「正」の字が二つ。今日で10日目。
一体、ここはどこだろうと思う。辺りからは確かに絶海の孤島だということはわかるのだが、一向に発見されることなく過ぎてゆく日々に苛立つ。
一度も船の影を見た事はなく、少なくとも航路のコースから離れているのは確かなようだ。
今日も晴れた空に「文明」の影が現れることはなく、どこまでも果てなく広がる空は残酷だ…。
ちょっとした長期戦も覚悟し、居住スペースを簡素なものからしっかりとした作りに改造した。私の相方であるナイフの活躍が頼もしい。


「北の森」はあまり深く入り込むことは危険と考えられた。蚊に刺されただけで命取りになる可能性もありうる。
森のごく浅い区域から少しずつ安全圏を広げてゆく。
木の実の生る木を見つけ、そのまま齧ってみたが食べられたものではなかった。火で炒ってみるとなんとか食べられる程度の物にはなったが、毒性はないようだが旨くはない…。
キノコの類いや野草は全て避けることにしようと思う。私には食用になるかどうかを見分ける知識はないのだ。


「西の浜」も危険区域だ。
やはり海流の関係なのか、投げた棒きれがあっという間に沖へと運ばれた。下手にこの浜から海に入ったら私も同じ運命を辿りそうだ。
もちろんこちら側の浜に流れ着く物はなく、全てを沖へと流すブラックホールのような浜だ。


今日も竈からのろしを上げる…。




「正」の字が三つ。
伸びた髭をナイフで乱雑に切り落とす。
捜索活動の打ち切りが心配された。
10人程度が乗る観光客クルーザーの海難事故にどれくらいの重要性を持たれているのか?
他の乗客はどうなったのだろうか?
突然の嵐で救命具も装着しない者もいたことだったろう。
気づくと「東の浜」に漂着していた私は幸運だったと言えるのだろうが、一向に現れることのない救助隊に憤りさえ覚えた。


時折流れ着く釣り竿やナイフがある限り、最低限の延命はできる。
…醤油が欲しい。


ここはどこに位置している島なのか。漠然と頭の中に地図を思い浮かべたりする…。
知る術がない私にできるのは祈りをこめて、のろしを上げ続けることくらいだ。




「正」が五つ。
私は精神の維持を保つように、意識を集中させる事が多くなってきた。
単調極まりない生活は、ともすれば時間が飛んだようになり、気づくとのろしの火種が消えていたりする。
これだけは絶やさないでいたい。


このまま私はどうなるのか恐怖にも似た不安感に襲われたりもする。
しかし、森で発見されたクーラーボックスを考えると、いつかは「人」が訪れる希望はあるはずだ。誰かの所有する島という可能性だって捨てきれたわけじゃない。


『絶望してはいけない!』


意味もなく海洋に向かって叫んでみたが、遠く果てしなく広がる空はこだますら返すことなく私の声を飲みこんだ。
いつかは私の孤独に誰か気づくはずだ。そう思わなければ…。


漂着した紙きれを乾燥させ、炭で「SOS」と書きペットボトルに入れ「西の浜」から放り投げてみた。
この島がどこかわからない限り、それ以上は何もできはしないが私の存在に気づいてほしい。
メッセージボトルは私の孤独を乗せて、沖へと運ばれて行った…。



―翌日―
私はいつものように「東の浜」へ出ると、その光景に驚いた。
浜辺に打ち寄せられた無数のペットボトル…。その全てにメッセージが入れられている。
数多の者達の声。
そして文面の意味するところは全て同じだった。


「誰か助けて」
「HELP ME!」
「オレはここだ」
「わたしを見つけて!」
「SOS」
「S.O.S」
「S・O・S」
「S―O―S」・・・










(10.03.27)