偽随筆 ・ 中学生の時の落書きから














え???
ふたつ目のコレって・・・ ( ̄▽ ̄|||)





びっくりした〜、コメント見たらコントだったんですね。
そうして見直したらおかしいですよね、コレ ( ´艸`) シャチョーサン・・・
















改めましてこんにちは、ソフィアなのです。
♪な〜んども な〜んども 捨てようと思ったけど〜
なんて物、ありますよね捨てずにいられない物。
わたしの場合、中学生の時の・・・なんて言うんだろ、落書き帳?かな。なんかねー、自作小説のネタになりそうなことや、散文的な落書きや、変な絵とか・・・、そんな感じのが気ままに書いてあるんですよ。
恥ずかしくてとても人には見せられないって思っていたけど、年を重ねて今になると当時の真っ直ぐで弱虫なのにそれでも精一杯生きている自分とかが我ながら愛おしく感じてしまうのですよ。わたしも大人になりましたから、中2病も許せちゃうんですよね (^_^)
他愛もないことばかり書いてあるんだけど、「おやおや?」って思った落書きもありまして。


「人間は二通りだ 圧迫する者とされ続ける者
圧迫する者にはその自覚はない、多分・・・
され続ける者は回りのあらゆる方向から圧されて隙間から逃げ場を作る
そんな逃げ場の隙間もふさがれ、やがって圧死する」 (原文のまま)


ふむ・・・、暗いですな (*゚ー゚)(*。_。)(*゚ー゚)(*。_。)ウンウン
でも真理を突いている気はします。


「生きるには目的や目標が必要だ
それを持たざる者は早々に死ぬがいい」 (原文のまま)


過激発言だけど、多分コレは自分のことを言って書いていたんだと思います・・・。


そうですね、こういう思想は中学生以前から持っていました。なんだったら今でもそう思いますね。
ただ、当時そう思うには時期尚早な気もしますけど、なんて言うか・・・。
例えば、中高生で自殺とかあるじゃないですか。あれは本当にどうにもならない場合もあるのだろうけれど、ただ生きることに見切りをつけてしまう場合もあってそれは、一種の「寿命」でもあるのだと思うんですね。
病気や怪我で肉体的に生命維持ができなくなった場合死にます。
同様に精神的に生命維持できるほどでない未達なメンタルな人も死んでしまう気がするんです。
ゲーム序盤でボンビーにつきまとわれて不利なスタートとなった時、「つまんない」ってゲームを投げ出してしまう人っているじゃないですか。あれと同じ感じな・・・。まだ序盤だからいくらでも逆転できるのに、その状況がもうイヤっていう。


一方、中高年者に自殺率が高いのもわかります。
詰んでしまったんですよね、まだ完全に終わってはいないけどルーザーロードを辿るのが意味のないことだって思われるのではなでしょうか?
例えば将棋の対局って最後までやらないじゃないですか。王将を取られるのが本当の終わりなんだけど、どう辿っても相手が打ち損じをしない限りそうなってしまう場合「詰み」となります。そうわかった時点で負けを認めて「参りました」で終わります。
自殺と同じじゃないですか、これって?
人生終盤でどうにも不利な状況から抜け出せなくなった場合「参りました」と・・・。理由は様々でしょうけど。
老年になると自殺率は急激に減少します。それはそこそこ勝っていたからでしょうね。


ともあれ、わたしたちはまだ戦いの最中。勝負の分かれ目の最中とも言えるかもしれません。
う〜ん・・・、宝くじに希望を託すようでは戦況は相当厳しいのかもしれませんが (^ω^;)