偽随筆 ・ 流れ


















【黒色すみれ / サーカスの馬】


9月20日、名古屋に来るよ〜 (>▽<)b
約一年ぶりっ!予約受付時間3分フライングしたのに6番。そこそこな席は取れそうだけど、みんなフライングしているのね (^_^)



廃盤になったデビューアルバムからの曲ですがファンの間でも人気が高い曲ですね。
このちょっとオカルトなPVがたまんないの =゚ω゚)=3 冒頭でアコーディオンを弾きながら彷徨い歩く影のような感じとか。
「まだ見ぬ向こう側」がもう見慣れた向こう側になって、メジャーになることより自分たちのやりたい音楽を選び、現在の位置に収まって12年。それでもその姿勢は崩さずマニア受けみたいな感じに・・・。
でも、この頃はさちさんのバイオリンに存在感がありますね、今現在よりも。ライブではともかく、CDではバック演奏の一人化してしまっているから、アコーディオンとバイオリンの二人組というスタイルがしっかりしているこの頃の方が好きですね。















改めましてこんにちは、ソフィアなのです。
はい・・・、腰椎が曲がってしまってしばらくどうにもなりませんでした。今でも腰に重い物が乗っかっている感じなんですけど、まぁ動けますよ、なんとか。コルセットでガチガチに固めていますが、暑いんですよねコレ。
お仕事のことはあまり書きたくないのですが、ちょっと避けられないお話で。。。
わたしが現在の部署に配属された時は確か13人いました。それが現在はたったの3人に。確かに機械掃除の回数は大幅に減りはしましたが、全くなくなったワケではありません、基本的な人員が足りていません。
そこにわたしの故障。それでも人を増やしてくれる動きはありません。当然わたしも(現在は軽作業だけですが)また復帰しなければならないです。腰もまた壊すことでしょう。
そりゃあわたしたちのお仕事は直接お金になるものではないです。でも「基礎」じゃないですか。その上で建屋がとか間取りがとかいうのに、基礎がスカスカでは上の人はお金のことしか考えていないというのがわかります。みんな逃げたいけど逃げられないからしかたなくいるだけで、チャンスがあればいつだって逃げ出すようになっています。
やっぱりブラック企業なんてこんなものなんですよね。縁の下の力なし、手抜きハウス。そんな感じです。
これくらいにしておきましょうか。




そんで、わたしたちも今年で「大台」になる年齢です。千明ちゃんはもうなっているし、わたしもあと数か月です。コープランドさんが一番最後ですね。
腰を悪くして動けなくて寝ていると、まぁ考えてしまうんですよ、そのあたりを。20代の頃はまだどう動くのか混沌としていました。でも30代になると流れが決まってくると思うんですよね、きっと。方向性とか。
一旦流れに乗ってしまうと何もなければそのまま流されることでしょう。何か大きな力で変えていかなければそのままです。
40代。ほぼほぼ安定し、よほど劇的なことでも起きなければそのまま変りばえはしないことでしょう。川の流れに逆らって登るのはよほどのことじゃないのかなぁ・・・。
50代。先が見える頃でしょう。例えば将棋の対局で言えば勝負がつくところです。将棋って王将を取られたら負けですが、普通そこまでやらないじゃないですか。詰みだと思ったら「参りました」と決着をつけます。つまりは詰んでいるのにその流れをただ辿るだけなんですよね、きっと。相手が打ち損じをしない限りはもう負けています。そんなことはものすごい低確率、宝くじが当たるような?
60代。もう先なんて見ません。過去ばかり振り返ることでしょう。どこでどうしていたらどうなっていたとか、あそこまでは順調だったのにとか。希望はもう持たないことでしょうね。


なんて、負け犬人生として考えてみました。
でもね、最後は誰だって死にます。人間の死亡率は100%です。「身内に不幸が・・・」とか、やっぱり死んでしまうことは不幸なことだとするのなら、人間誰だって最後は「不幸」で終わることになっているのです。
どんなに輝かしい人生や栄光ロードを辿ってきても、最後は闘病、そして死なんです。誰もがバッドエンド。
だから天国なんてものを発明したりするんです。


それならば、それまでの間どれだけ楽しめるかが勝ち組と負け組の違いとなることでしょう。最後はみんな同じなのだから。
現在の流れがうまくいっていなくて、「山のあなたの空遠く」なんて考えたりしても、今いるところでうまくいっていないのならどこに行ってもうまくなんていかないんじゃないのかなぁ。どこも同じようなものですよ。自分自身が同じなら何も変わりません。
もしかしたら、生まれた時から全てが決まっていたのかも、いえ生まれる前から決まっていたのかもしれないです。
人間は「考え」てしまうから不幸になったのかもしれませんが、他の動物や虫だって過酷なのは同じです。偶然の産物である生命体は不幸の産物でしかなく、存在しない方がよかったという気がしてなりません。全てが無機質ならば幸福も不幸もなくゼロなのです、マイナスよりはマシでしょう?
木星がものすごい嵐の惑星だって言ったって、そこに「感情」が入りこむから過酷だとか表現されるんですよね。ただの自然現象でそういうものなのに。


・・・千明ちゃんがタバコをふかしています。
「タバコは身体によいですか?悪いですか?」、悪いに決まっています。でも、すぐにこの場でどうかなってしまうものじゃないですよね。
なんて言うのかなぁ・・・。「流れ」もそんなものというか。先が不幸でも今すぐ不幸になるものじゃないです。
そんな感じのことを腰を悪くして寝てて考えていたって、何も新しい発見があるってものじゃないです。わたしがず〜〜〜〜〜〜〜〜っと前から考えてきたことを蒸し返していただけ。やっぱり覆らないことが再認識できただけ。


楽しみましょう。ダメダメでも、ダメダメなりに。どうあっても最後はバッドエンドなのだから。
いいんです、何をしたって人の迷惑にならなければ。宗教関係者が食べ物に規制が入るなんておかしなことです。昔に知らない人が勝手に決めたことなのになぜそれを守るんでしょう?食べたいものを食べたらいいのに。
宗教的なことは人間の本能だからしかたのないことなんだろうけれど。神なんていませんよ。イスラム国の例を挙げるまでもなく、宗教なんて害にしかなりませんから。