れきりま 4 (レベッカ・パシフィカスの場合)





*「レベッカ」は原作には登場しないオリジナルキャラクターです。



―アル学の休日―
緊急招集がかからない限り、この日一日は自由行動とされていた。


「ちっ!今週はバドーの出番はなしかよ!グロリアちゃんも出ちゃいねぇ!」
ガイン教官がマンガ雑誌を棚に叩きつけるように置いた。


バキッ!!!バサバサバサ…


「あ…」
棚が壊れ雑誌が散乱した。
ここ、簡易書庫には数名の生徒がいる。その中にメイアとマナの姿もあった。
ガインがたてた音に気づいて、二人と視線が合う。
「………」
「………」
「……なるほど、そういう事か。読めたぜ」
ガインは何かを悟ったかのようにつぶやいた。
「メイアー!お前の仕業だな!オレがやさしく棚に雑誌を置いた瞬間、電撃で棚を破壊したな!」
一瞬あまりの理不尽さに言葉が気絶した。
「なっ、何言ってんの!アンタ、自分で壊したんじゃない!」
メイアは慌てて反論した。
「オレじゃねぇ!貴様だ!そうだ、そうに違いない、そうに決まった」
マナも声を裏返しにしながら言う。
「言いがかりですわ、教官!メイアさんは何も」
「うるさーい!うるさいうるさいうるさーい!」
子供のようにゴネると
「メイア・リトライ!マナ・ルーン!棚の修理を命ずる!以上!!」
「わ、わたしもですか」
「メイアの世にも恐ろしい極悪非道な企てを見過ごした罪は重いのだぁ!」
簡易書庫室を後にしようとするガインを引き止めるようにメイアが猛抗議する。
「ちょっと、冗談じゃないわよ!直しなさいよ!」
「えぇい!教官ともなると忙しいのだ!」
「忙しいって、どうせケニヒ教官とゲームでしょ!」
「…いや、ヤツは自主トレ中だ…。遊んでくれやしねぇ」
「それでは教官も一緒に自主トレを…」
「せんっ!オレは昼間っからビールをかっくらって、レイクサイドコロニーのガルーダ・レース観戦だ!11レースの3複が当たればいい酒が飲める」
「……それは忙しいですね」
返す言葉もなくなってしまった。



「マナ、ゆっくり地道にね」
金槌でクギを打つマナに、指をくわえるメイアが声をかける。
「はい…。指、大丈夫ですか?」
「うん…。ちょっとぶっただけだから。たいした事ないわ」
とたんに背スジに粘っこい空気を感じた。
「キミタチ、困っているようだね」
光りながらポーズをキメたリッチャーが登場した。全く様になってはいない。組んだ足がズレる。
メイアが大きくため息をついた。
「やれやれ、全く…。あの横暴男は女性にこんな事をさせるなんて」
大袈裟に首を振る。
『見てたんなら止めろよ』
「リッチャーさん、こういう事は得意ですか?」
マナが藁にもすがる思いで言うと、『待ってました』とばかりに答えた。
「ふっ、ぼくにできない事なんてないさ。さぁ、金槌を貸すんだ」
マナから金槌を受け取ると、メイアに『見てろよ』と言わんばかりの視線を送り、クギを力強く打ちだした。


ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!


「わぁ、さすが男の方は違いますわ」
マナが感心して言ったが、メイアは腕組み、よそ見をしていた。
「わはははははは!なんのこれしき、寝起き前さ!次!!」
ドス……
「◎☆!@☆☆!!」
鈍い音をたて、リッチャーがゆっくりうずくまる。
「はいはい、ご苦労様。痛いんでしょ?」
メイアの呼びかけに首だけで「コクコク」とうなずいた。声が出せないようだ。
「早々と医務室に行ってきな」
首の動きと鼻息だけで反応するのが精一杯だった。
「マナ、ゆっくりね」
「あ、あんな様を目の当たりにしたら、とても思いきってなんていけませんわ」
そんな会話を背にして、リッチャーは指をかばいながらそこを後にした。



腫上った指を「ふーふー」させながら廊下を歩くと、向こうからレイとキースがやって来た。その姿を見つけると、リッチャーはとたんに身もだえ苦しみだした。
「く…、くはっ!…ぅおおおお」
「あれ?リッチ君、どうしたの?」
「め、名誉の負傷だ…」
レイとキースが顔を見合わせる。
「だって今日は休みだし、緊急招集もかかっていないはずだけど…」
「戦闘ばかりが仕事じゃない。ぼくはいつだって戦っているのさ」
キースがリッチャーの手に視線を向ける。
「なんだ、そのマンガみたいな指は?フザけているのか?」
「マンガってゆーな!」
レイはあまり刺激させないように尋ねた。
「あの…、ところで、マナとメイアを見なかった?」
「彼女たちなら第2簡易書庫さ。ほとんどの『敵』はぼく一人で片付けたけど、まだやっているだろう」
「うん、ありがとう。よくわからないけど」
困ったように笑いながらレイが言う。
「早く医務室に行った方がいいよ。ジャニスさんなら休みでも常駐してるから」
「ジャニス…、いや婦長は…」
「苦手なの?」
リッチャーは苦笑しながら答えた。
「あの人は、よほどぼくが好きなんだろうね。ちょっと…」
二人は納得した。婦長のジャニスは口より手が早いタイプだ。
ベッキーはいなかったかい?」
「さぁ…。休みだからレベッカは自分の部屋にいるんじゃないかな?あまり外には出ない子だから」



部屋をノックすると中から「どうぞぉ…」と声が返ってきた。
リッチャーは大袈裟にヨロケながらドアを開けた。
レベッカは読みかけの本を置くと、いつものやわらかい笑顔で出迎えた。
「リッチャーさん」
「ベ、ベッキー…、頼む。名誉の負傷だ」
指を見せた。
「まぁ!こんなに腫れて。マンガみたいです」
「だからマンガってゆーな!」
「あ、すみませんでした。すぐに」
レベッカは救急箱を持ち出した。



「ふぅ…。並みの戦士ならショックで死んでいたかもしれない」
「大変ですね、お休みですのに」
「まぁね。男リッチャー・クドイ、戦士に休息はないのさ」
先ほどまで痛みで涙目だったリッチャーだが、痛み止めが効きだすと急に態度を変えた。
そんな様子を笑顔で見ているレベッカだった。
「さて、また校内のパトロールだ」
「あの…、少し休んでいかれてはどうでしょうか?ハーブティーをお入れします」
「あ…、うん。じゃ、そうしようかな。気が利くじゃないか」
「わたしは従者ですから」
「うむっ!」


よく晴れた日だった。
春から夏へと移りゆく空はまぶしかった。新緑も輝く季節である。
「調子はどうだい」
「はい。ジャニス婦長は丁寧に教えてくださいますから助かってます。時には厳しくもありますけど、それだけわたしに期待をかけてくださっているからだって思ってます。順調ですよ」
「あ、そう。でもあの婦長には…」
「え?」
「いや、何でもない。それならいいんだ」
少し咳払いをした。
「何かと大変だろうが…。そうか、みんな戦っているんだなぁ…」
リッチャーが窓の外の空を見上げた。エルコンドルが一羽、空高く滑空し舞っていた。
「でも、とても楽しいですよ。やりがいのあるお仕事ですから。この調子なら来年の試験も少しは期待できるかもしれません」
「一発合格は難しい事だけど、いい心掛けだ。さすがはぼくの従者だな」
満足そうにするリッチャーは、ティーカップを置くとイスから立ち上がって伸びをした。
大あくびが出る。
「さぁ、見回りでも再開するか」
「はい。お疲れ様です」
「うむっ!」
ビッと敬礼のように手をかざして部屋を後にした。
「お気をつけて」
レベッカの声を背中で聞きながらドアを閉める。と、急に立ち上がったせいで立ちくらみがしてヨロケたが、彼女には見られなかった。


リッチャーがいなくなるとテーブルの上を片付け、レベッカは窓に寄って外を眺めた。
「本当に…、いいお天気」
小鳥がさえずり窓から風がスッと入ると、髪を軽くかき分けた。




ガイン小隊一同が木陰で雑談を交わしている。
少し離れた日なたでヴェインがあくびして昼寝をしだした。
「ケッ…、いい気なもんだ。オレが傍にいる事をわかってんのか」
キースが少し口惜しそうに言うが、レイは笑顔だった。
みんなの横をレベッカが通りかかる。
「あれ、レベッカ。君が散歩なんて珍しいね」
「こんにちは。いつもお疲れ様です。…今日はとても天気がよかったものですから」
やわらかな笑顔で深々とおじぎをした。


「そう…、リッチ君、医務室には行かないで君のところに行っていたんだね」
「はい。医務室に婦長さんしかいない時はいつもそうなんですよ」
くすくすと笑いながら答えた。
ガイン小隊と一緒に木陰に座って話しているレベッカは楽しそうである。
「でも、ベッキーも大変なのに見込まれたものね」
メイアが気の毒そうに言う。
「いえ、わたしはリッチャーさんの従者です。自ら望んでる事でもありますから」
「奇特なもんだ」
人の事を言えないキースが鼻で笑った。
「強い方なんです。婦長にぶたれても、怒鳴られても、少しも引かないんですよ」
「いやだからー、それは…」
メイアが言いかけるとレイが目配せをした。
(もうそれ以上言わない方がいいよ、メイア)


「今日は少し暑いくらいですね…」
レベッカは手首のバンテージを見つめると、それを解きだした。
瞬間、一同が凍りつく。寝ているヴェインの耳がピクッと動いた。
その「空気」を察してレベッカは笑顔で言った。
「あ、いいんですよ。もう皆さん知っている事ですから」
手首には深々と切られた傷跡が数本あった。
「ソレハ、マモノノツメアトデハナイナ。ハモノデキラレタモノダ」
のそっとヴェインがやってきて口にした。
一同は気まずそうにしている。
「ドウシタ?ワレハオカシナコトヲイッタノカ?」
「いや…、だから…」
「いいんですよ。…ヴェインさんでしたね。これはわたしが自分で自ら切ったものです」
ヴェインは不思議そうに首をかしげた。
「ナゼ、ソノヨウイナコトヲスルノダ」
ますます一同は黙してしまう。
「人は…、死を選びたくなるとこんな行動をしてしまうのですよ…」
少し悲しげな目で微笑むと、傷跡を見つめた。
「フム…。ジガイトイウヤツカ」
「…そうですね」
「ナニガソウサセタノダ?」
「あのさ、ヴェイン…」
ついにレイが気まずさに耐えられなくなり、ヴェインを止めにかかったが、レベッカは気にする様子はまるでなかった。
「いいんですよ、レイさん。……ヴェインさんは『バレンシア村』をご存じですか?」
「ココカラズットキタニイッタトコロニアッタムラダナ。イマデハ、リザードノソウクツダ」
「わたしはそこの村で暮らしていたんです」
ヴェインは少し驚いたようだった。
「アソコハスウネンマエ、リザードノタイグンニホロボサレタハズダ…」
「はい、数人の生き残りもバラバラになりました」
「オマエノカゾクモカ?」
「いえ…。父も母も、弟や妹もみんなリザードに…」
「ソウカ…。ヨクオマエダケデモイキノコレタモノダナ」
元が魔獣ゆえズケズケと問いかけるが、レベッカはやわらかな笑顔だった。
「村が魔物たちに襲われた時、わたしの家にも2匹のリザードが侵入しました。母は弟と妹をかばうようにして絶命…。父は必死にリザードと戦っていました。わたしも剣を手にして、弟と妹を守ろうとしたのですが、守りきれずに…」
「オマエハイクツニナルノダ?」
「わたしですか?今年で14歳です。当時は…、11歳でした」
「ムリモナイコトダ」
「父が深手を負いながらやっと1匹のリザードを倒した時には、弟も妹も…。次はわたしと思った時、父はリザードと相討ちになるようにして戦死しました…」
「あの『事件』は謎なんだよ」
レイが言う。
「村の通信機器を真っ先に破壊されたらしいんだ。ケーブルも断線させられて最寄りの中継塔も倒されていたって…。リザードにそんな知能があるはずないのに…」
「何者かに先導されていたという噂も聞いたな。そんな術者がいるとは眉唾ものだが」
キースもこの「事件」には不穏なものを感じていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ベッキー!お前また!!」
生き残りの村人が手首をかき切ったレベッカを見つけた。
「わたしなんて…、もぅ…」
村人は慌てて布を裂いて腕を縛り、手首にも巻いて応急的に止血した。
「今は待つんだ…。この村の精鋭達がウッドコロニーに助けを求めに行っている。援軍が来るのを待つんだ!」
「援軍が来ても!…わたしの家族は…」
身体を床に叩きつけるように伏せ、大声で泣き叫んだ。
巻かれた布から血が滲む。
涙は枯れることなく溢れ出た。
「生きるんだ。お前を守って死んでいった家族の分まで生き延びるんだ!」


その後、何日待っても援軍は来なかった。ウッドコロニーへ向かった者達は全滅したと考えられた。
通信を絶たれ孤立した村に、ある雨の夜またしてもリザードの群れが村を襲う。
火の手があがり、残された村人は散りぢりに村から脱出し、レベッカもフラフラと村を後にした。
少し離れた所で立ち止り、燃え上がっている村を振り向いて見たが、すぐに肩を落として歩き出した。


小雨に打たれながらどれだけ歩いただろう。運良くウッドコロニー近くまでリザードに遭遇する事なく辿り着いていたが、レベッカにはどうでもよい事であった。
家族も故郷も全て失い、一人で生きてゆく事など考えに及ばない。野垂れ死ぬのが先か魔物に襲われるのが先かなど答は簡単だ。
「ギシャァァァァァァァ!!!」
小雨の中、1匹のリザードがついに現れた。奇声をあげると、ずぶ濡れになったレベッカに襲いかかった。しかし、逃げる事なく目を閉じて立ち尽くす。逃げ出す気力も体力もない。
『お父さん……』
ボゥ!!!
炎の壁が立ち、リザードはその動きを止めた。間髪入れずに別の男が木の上からリザードの脳天に剣を叩きつけた。
時間にすればコンマ3秒くらいの間だ。一瞬の出来事である。
レベッカがそっと顔を上げると、目の前には二人の戦士が立っていた。
彼らはそれぞれ「俺はガインだ」「ぼくはケニヒです」と名乗った。
ウッドコロニーの者だと言った。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「…そうしてわたしはこのアル学に連れられました。初めは雑務係として従事していました」
ガイン小隊の者は沈黙して聞き入っていた。
『キース……』
レイは、一人立ち上がり空を見上げて背中でレベッカの話を聞いているキースの気持ちを察した。目の前で両親を魔獣に惨殺されたという同じ境遇である。
「アル学は戦いの最前線です。みんな毎日のように鍛錬して戦っています」
レベッカが続ける。
「なのに、わたしはずっとふさぎ込んだままでした…。みんな戦っているのにわたしは何もできない事が情けなくて…」
皆、どう声をかけてよいのかわからなかった。ヴェインすら黙ってしまっている。
「そして…、去年のある日です。それまでわたしは手首の傷跡が情けなくて恥ずかしくて、バンテージを解く事はありませんでした」
思い出すように手首を見ていた。
「洗濯物をしていた時です。水を使う仕事ですから腕まくりをして…、その時はバンテージも解いていました」



タライに陽射しがキラキラと反射している水面に人影が映る。
バレンシア村の生き残りというのは君か?」
突然、背後から声をかけられ、振り返るとリッチャーがいた。
「!!!」
慌てて反射的に手首を隠した。
「隠す事はないだろう。『名誉の負傷』だ。…だけど、やれない事はするな。君ができる事をすればいい」
一言だけ言うと、リッチャーはその場を去った。
残されたレベッカは言葉を失いながらも立ち上がり、リッチャーの後ろ姿を見届けていた。



一同が驚嘆し、同時に声をあげた。
「リッチャーがぁ!!!」
一番大きな声をあげたのはメイアだった。
「わたし、思い出したんです。『家族の分まで生き延びるんだ』という言葉を」
レベッカは笑顔だ。
「そうしてわたしは自ら志願して、ジャニス婦長の下で看護技師の資格を習得するように頼みこみました」
少し俯き、照れくさそうにする。
「あまり自信はないですけど…、諦めません。何年かかろうとも」
「そ、そんな事ないよ!レベッカならきっと立派な看護技師になれるはずだよ!」
レイが言った。
「ありがとうございます。レイさんもあの方と同じようにおっしゃってくださるのですね」
「う…、リッチ君かな?」
「はい!」
元気に答えるレベッカに対し、リッチャーと同じにされた事が複雑な気持ちのレイであった。
手首の傷跡をやわらかな笑顔で見つめていた。
「あの方は『名誉の負傷』だとおっしゃってくれました。これは『自分との戦い』の過程での負傷。恥じる事はないんだと教えてくれたんです!」
『違う…。リザードの爪跡と思っただけだ』
「あの方は強いです。何度もケガをして婦長に叱咤されてぶたれても、不適に笑ってさえいるんですよ。…実際、あの体格では戦士として相当に不利なはずです。でも何度ケガをしても立ち向かって行くんですね、きっと」
『戦闘のケガじゃない。ただドジなだけのケガだ』
「そうして、いつしかわたしはあの方の従者として仕えるように婦長に命ぜられました」
『ジャニスさんが嫌って、押し付けただけだって』
「わたしはそれが嬉しくて!」
レベッカは輝くような笑顔だった。


ベッキー!ちょうどいいところにいたわ。手伝ってちょうだい!」
医務室の窓からジャニスが声をかけた。
「あ、はい!ただいま」
腰を上げるとガイン小隊に深々と一礼をした。
「呼ばれたのでわたしはこれで。お話を聞いていただけてとても嬉しかったです。…ありがとうございました」




「ねぇ…、みんな、どう思う?」
レイが心配そうに問いかけた。
「どうもこうもないわよ。アイツの本性を知ったらオワリよ!」
メイアが声を荒立てた。
「あの傷がリザードの爪跡でなく、自ら切ったなんてリッチャーさんに知られたら…」
マナも心配顔だ。
「カクシトオサネバナランナ…。ヤツノコトダ、トンデモナイコトヲイイカネナイ」
ヴェインですらそんなことを口走った。
しかし、キースだけは余裕顔だ。
「そんな心配はいらんな」
キースに皆の視線が集まった。
『うっ…!そそ、そんなにみんなで見つめるなよ!照れてしまうではないか!』
「どうして?リッチ君の性格だよ!『やれない事はするな』って言ったのも『戦士として戦うな』って意味だよ、きっと」
レイが落ち着かない様子で言った。
「とと、とにかく心配はいらんと言っているんだ。レイ、それはお前もわかっているはずだ」
レイがキョトンとする。
「ぼ、ぼくも?…でも」
レイが言いかけるのをキースが制した。
「お前はこれからリッチだ。リッチャー・クドイだ。そう思い込んでみろ」
『???なんかそれ、ちょっとイヤだな…』
「いいから、ヤツになりきってみるんだ」
わけもわからずレイは言われるがまま、俯いて「ぼくはリッチ君、ぼくはリッチ君…」と呪文のようにぶつぶつ唱えた。
「……。よ〜し、じゃぁリッチに聞こうか。あの傷がリザードによるものではなくベッキー自らが切ったと知った時、リッチ、お前はどう答える?」
しばらく俯いていたレイが顔を上げた。
「ふっ…。もちろん知ってたさ。一目見ただけでわかったね!…あ」
キースがニヤッと笑う。
「…という事だ」



***************



「あだだだだだだ!足首がとれそうだ!」
ケニヒ小隊がひきあげてきた中、リオにおぶされたリッチャーがいた。
「もっとゆっくり歩け!リオのせいだからな!」
「ごめん…」
リオが力なく言った。
「リオの判断は間違ってないわ!」
キャシーが反論した。
「あの森の中でバラバラとリザードに襲われたら、あれは最善の策だったはずよ」



リオが両腕を広げると、あたり一帯深い霧に包まれた。
「みんな!木の上に登って、霧が晴れるのを待つんだ」
リオが皆に声をかけると、バラバラに散らされていた小隊はそれぞれ手近にある木に登った。
が、リッチャーだけは木登りすらできなかった。
「バカ!何て事をしてくれたんだ!何も見えない!リザードが、リザードが来る!」
「…静かに。こっちに来て」
リオの声を聞きつけ転げながら向かった。
「手につかまって」
リオの差し出した手につかまり引き上げられると、ようやく枝の上によじ登ることができた。


霧がしだいに晴れてゆく。標的の姿を見失ったリザード達は、のそのそと右往左往していた。
「アタック!!」
合図と共に一斉に木の上から飛び降り、攻撃に転じた。
不意を突かれたリザードはほとんど何もできずに倒されていった。


「降ろしてくれぇ!」
リッチャーだけはまだ木の上だった。
「もぅ!アンタはいつも!それくらい一人で飛び降りなさいよ!リザードは全滅したわよ」
「こんな高い所から飛び降りられるもんか!」
リオが手を貸そうとするとキャシーが止めた。
「クセになるわ。放っておきなさい」
リッチャーは無様に幹にしがみついて降りようとしていた。
「カナブンみたいね…」
足を滑らせバランスを崩して落下すると、足首を90度に捻った。



「ぼくがどれだけ怖い思いをしたか!どれだけ痛い思いをしているか!みんなリオのせいだ!」
「ごめん…」
「君はいつも勝手に」
「リッチ!いいかげんにしなさい!」
ピシャリとキャシーが止めた。
「うるさい!ぼくはリオに文句を言ってるんだ」
「ごめん、まさか失禁するほど怖かったなんて…」
「わぁ!それは言うな!!」


ケニヒ小隊はレイ達ガイン小隊の前を過ぎて行った。
レイとリオは目を合わすと、(おかえり)(だだいま)とアイコンタクトをとった。
と、すぐ横でニヤけているメイアがいた。
「どうしたの?メイア、目がカマボコみたいになってるよ」
「聞いたでしょ!アイツおもらししたのよ!」
「はは…、みたいだね…」
困り笑顔でレイが返した。
「ムフフフッ。これはいい事を聞いたわ。これでアイツを撃退できるわ!」
「メイアさん…、悪趣味ですわ」
「何言ってんの!これまでどんなにしつこくストーキングされたか。でもそれも今日までね!」
鬼の首でも取ったかのように喜々としていた。
「戦闘中におもらしだなんて、プッ!わたしだったら自殺ものだわ!さぁ、医務室にお見舞いに行こうっと」
軽い足取りでメイアが駆け出して行った。
「リッちゃ〜ん、待っててね〜♪」


「いけませんわ。メイアさん、自分を見失っています。医務室にはレベッカさんが!失望されてしまったら」
「ソウカ!マズイゾ、スグニトメナケレバ!」
マナがレイとキースに目を向けた。
が、キースは動かず、レイもどうしていいのかわからないようだった。
「キース…」
「心配するな。メイアはすぐ戻る」
「…ナゼワカル?」
「レイ、やってみろ」
「…………」
レイは俯き、ブツブツと唱えた。
「ど、どうやらぼくには水属性もあったようだ。まだちょっと慣れないから、違うところから出てしまったけどね!……どう?」
「はははははっ!なかなか似ているぞ、レイ」


しばらくすると不満顔のメイアがブツブツ言いながら戻ってきた。
「全く…。何が水属性よ!」
ヴェインとマナが驚いた。
「オマエトイウヤツハ…、チョウノウリョクデモアルノカ」





多数のリザードが吠える。村人は応戦する者、逃げまどう者、泣き叫ぶ者で混乱していた。
どこかで火の手があがり、村は業火に焼かれる。
「ククククク…」
炎の中で笑う黒いローブを纏った男がいた。
『ソノヒトハキケン、ワルイヒト。…ニゲテ』レベッカの心の中で声がする。
とたんに、黒いローブの男はふわりと目の前に飛んできて宙に浮いた。
その眼を合わせてしまうと、呪縛をかけられ身動きがとれなくなってしまう。
男が「バッ」とローブを大きく広げると、無数の矢が四方八方に放たれた。
何本もの矢がレベッカを貫いた。


「!!!!」
………夢。
『また…。あの時、一瞬だけ炎の中で笑う姿を見た、黒いローブの男の夢…』
ひどい寝汗だ。レベッカは妙な胸騒ぎを感じていた。




―翌日の夜―
ウッドコロニー近辺をはぐれリザードの大群が大移動し、押し寄せてきていた。
「番号!」
「1!2!3!……」
号令をかける声があちこちから聞こえた。全員招集のスクランブル体制。
そんなかけ声を耳にしながら、レベッカも「戦い」の準備に備えていた。
医療器材や大量の薬品を仕分けし、運ばれてくるであろう負傷者に対応しようと大忙しだ。
彼女の表情からいつもの笑みが消え、真剣な眼差しに変わっていた。
少数の部隊を門番と守備に残し、ほとんどの部隊が外へ攻撃に出る積極策がとられているようだ。
『みなさん、どうかご無事で』
レベッカには祈る他はない。
自分にできる最善の事。それを果たすのが使命であり、彼女の表情には自信にも似たものがあった。
婦長のジャニスは、地下倉庫へ備蓄品を調達に降りていた。


ガシャーン!!!
突然、窓を破る音がした。
「きゃっ!」
窓際の机にいたのは1羽のエルコンドルだった。
この辺りにはよくいるコンドルだが、希に夜行性の種類もいて、凶暴なものは人をも襲うことがある。
しかしエルコンドルは魔物ではない。野鳥に分類されているだけだ。
レベッカはゆっくりと移動し、箒を手にした。
「グェェェェェェェェェェェ!!!」
エルコンドルが奇声をあげ、翼を広げた。
翼を広げると3メートルはあろうかというほどの大きさだ。
威嚇するように鋭い視線を向けられると、黒いローブの男がフラッシュバックする。
とたんに身体が動かなくると同時に意識が遠のくのを感じた。
助けを求める声を出せば、外にいる戦士にも届くであろうが、その声すら出せなくなってしまう。
「グギェェェェ!!!」
エルコンドルの威嚇にみるみるレベッカの顔から血の気が引いてゆく。
ジャニス婦長が戻って来る気配はない。
エルコンドルが獲物を狙うように翼をたたみ、今にも襲いかかろうとした時だ。
「……なんら〜?今の声は〜?」
カーテンが開くとベッドで半身を起こして寝グセ頭のリッチャーが姿を見せた。
―アンタにしては普通に重傷ね。靱帯いってるわ、これ―
あまりに騒ぐリッチャーにモルヒネがうたれ、副作用でずっと眠っていたのだ。
エルコンドルは突然開かれたカーテンに反応し、リッチャーに向かって素早く襲いかかっていった。
レベッカの顔のすぐ横をものすごいスピードで飛び過ぎ、羽が頬をかすめる。
「わぁ!」
突然飛来してきた「何か」に、頭をかかえ身体を伏せた瞬間、すぐ後ろの壁にエルコンドルが激しく激突した。
「ギャァ!!!」
「なんらよ、コイツ!」
布団をかぶせ、ポカポカと殴りつけた。
「おろろいた…。はれ?ベッキー…、ろうしたんら?」
その声で箒を床にカタンと落として呪縛が解けるとリッチャーに抱きつき、大声で泣き出した。
「なんら?」
リッチャーは呆けたままだ。
「わたし…、わたし!……わぁぁぁぁぁぁん!!!」
「ははは。おまいもおもらししたんか?」
リッチャーは意識が途切れ、パタンと眠りこけてしまった。
レベッカは、そんなリッチャーにしがみついたまま泣き続けた。ジャニスが倉庫から戻るまで…。



その後、レベッカはこの話を話せなくなってしまっていた。照れくさかったのだ。
一方、リッチャーは全く記憶になかった。モルヒネでラリっていた状態にあった時の事である。
しかし、レベッカは気遣ってあえて口にしないのだと思い込んでしまっていた。
『やっぱりこの方は強い。あれだけのモルヒネで副作用が出ているのに、わたしを助ける為に…。そして…、大きな心を持っている』
いつしか敬意の気持ちに、甘酸っぱい想いが芽生えていた。



****************



「あら?キースさん、こんにちは」
廊下でレベッカはキースとはち合わせると深く頭を下げた。
「おっ?ベッキーか。…今日は忙しいのか?」
「いいえ。先日の戦闘は幸いにもひどい負傷者は出ませんでしたから。みなさん早く戻りたいとベッドから抜け出して、医務室はもう空ですよ。やっぱり戦士の方は体がなまってしまうのがイヤなんでしょうね」
『まぁ…、ゆっくりしたくても婦長が傍にいたんじゃぁな』
「あれ以来この辺り一帯、リザードの目撃もほとんどないようですね」
「野良リザードを掃除したからな。しばらくは大丈夫だろう」
「おかげでわたしたちの仕事もなくなってしまいました」
「いや、それはいい事だろう。勉強にだって専念できるじゃないか」
キースはふと自分が手にしているビラを見た。
「そうだ、ベッキー。こんなのは届いていないか?」
「何ですか?」
『男リッチャー・クドイが話る、男の美学』と銘打たれていた。
「…誤字ってらっしゃいますね」
「わざとだろ」
キースはいつものように口の端で笑った。
「オレ達小隊を集めて講演会でも開く気らしいんだが…」
リッチャーは少し動けるようになると、ジャニスに追い出されるように自室での療養にまわされていた。
「よほどヒマを持て余しているようだな」
「あの…、みなさんは?キースさんだけですか?」
「ん……、あぁ。今日はガイン教官との面接日でな。1番手のオレはすぐに終わったが、2番目のレイが相当手こずっているようなんだ」
全くのデタラメである。皆、苦笑まじりに遠慮したとはレベッカには言えない。
「どうだ?オレだけじゃアイツも機嫌を損ねるだろう。一緒に行くか?」
「いいんですか!」
「ああ、ヤツもベッキーがいれば調子づくだろう」
レベッカの顔がパッと明るくなった。
「はい!ありがとうございます!行きましょう!あ、婦長に許可もらってきます」
癖なのか再び深いおじぎをすると、足早にパタパタと医務室に向かった。


『やれやれ…。あの男、わかっているんだろうか?』
キースもリッチャーの気持ちにふれてみる…。
―そっ、そんなデタラメに惑わされるぼくじゃないぞ!その隙にメイアに手を出す気だろ!その手に乗るもんか!―
『クックックッ…。どうやらメイアの事しか頭にはないらしいな』
一人で苦笑するキースだった。
『……。レベッカパシフィカス、か』
自分と似た境遇にあり、やはり同じようにリッチャーから何かを学ぼうとしている。
そんな自分にも苦笑した。


「キースさ〜ん!許可もらえましたよぉ。行きましょう!」
ティーセットやお菓子を乗せたワゴンを押しながらレベッカが笑顔で戻って来た。
キースは軽く手を上げて応えた。










(07.06.17)