華 燐





「ねーねー!昨日のも良かったよ!」
「祥子ってやっぱり色使いが違うよね!」
「そのうち祥子ならあそこのトップページ飾るんじゃないの?」


本庄祥子の回りに朝からクラスメイトが群がった。
祥子はネット界ではそのスジの『素人イラストレーターの総本山』とも呼ばれているサイトの常連イラストレーターであった。
投稿した作品のほとんど全てが掲載され「ボツメール」が送られて来る事はまずない。
祥子自身、将来はそれを生かして世に出たいという夢を持っていた。


「ダメよ、祥子なんて呼んじゃ。『華燐』って呼ばないと」
「あぁ〜、そうでした。ご無礼、華燐様!」
祥子のハンドルネームである。
祥子はまんざらでもなさそうにしながらも遠慮がちに答えた。
「そうだったかな?まだあまり自信はないんだけど」
「あれで自信ないなんて贅沢な望みだよ!」
「そうそう、もうプロ並!」
賞賛が心地よかった。勝者の気分である。


「今回も独特なパステルピンクが基調だったよね」
「あれは『華燐色』って別名を…、ちょっと茂美、邪魔〜」
興味のなさそうな隣の席にいるクラスメイトは押しのけられ、サイトに夢中な他クラスの者まで取り巻いていた。作品が掲載された翌日はいつもこんな調子である。
「うん。あの色だけは私だけにしか使いこなせないレベルまでにしたいんだ。それに今度のも構図とラフまで順調だしね」
「もう次やっているの!」
「今度はちょっと自信アリ…、かな?なんて」
歓声があがる。


誰かが言った通り、まず目標はサイトのトップページを飾る事。
トップページのイラストは毎月変わり、前月の最優秀作品的な意味を持っていた。
素人ばかりのサイトだが、その業界からも一目置かれていると言う。
いずれここからプロになる者が輩出されるのは確実という見方が強い。
『私がその第一号になる可能性だってあるはずだ』
祥子は『華燐』の名のままデビューする野望を密かに燃やしていた。




「ん〜…。今日はこんなところかな?」
部屋にこもって作品を描いていると結構な時間になっていた。
「わりと『難産』になちゃった…。前の投稿からもうすぐ一ヶ月になっちゃう」
毎月トップページ掲載を目標とする祥子にとって、月イチペースは守りたい。


「さて、と。ちょっとサイトでも覗いてこようかな?」
サイトの掲示板にも『華燐』ファンの声が多く全国から寄せられ、活力となっていた。
『まだ頑張らないと…。でも、いつかあそこを私が制する日だって』
そんな手応えを感じていた。
半プロのような絵師「神・六人衆」と呼ばれる者達に仲間入りする日も近いと考えていた。現在トップページはこの六人がしのぎを削って争っている状態だがそこに祥子も加わる事は目の前であると。
「そうなったら『七福神』とでも呼ばれるのかしら?ふふっ。そうしたら紅一点の私は弁天様?ふふふっ」
「六人衆」の中にはすでに大手ゲームメーカーからの引き抜き、オファーが来ている者もいた。しかし本業を持つサラリーマンらしく、断念したようだ。
若い祥子『華燐』にはそんな障害などない。大空へ羽ばたく翼は何の柵も持たない。



「何、これ!!!」
サイトの投稿ページを開き、祥子は愕然とした。
華燐』と名乗る者が投稿している…。
サインはそっくりに真似ているが、タッチや色使いや線の強さ、全てが異なっている。
『堕ちるイカロス』
そうタイトルがついている。


有名なギリシャ神話。
驕るイカロスは太陽に向かって飛び、翼を焼かれて堕ちた…。
そんな様が描かれている。


『今回はこれまでと一転した感じになって驚かれたと思います。
でも、実は密かに温めていた手法です。
これからもよろしくお願いします。[華燐] 』


「騙りだ!」
イスを倒す勢いで祥子は立ち上がると、ワナワナと震えた。
素人目に見ても描き慣れた感のある手練の仕業だ。
圧倒的な迫力を持つイラストを前に祥子は怒りで涙を滲ませた。
自分だけの世界を一瞬にして礫圧されてしまったような悔しさ。
「プロが素人の芽を摘む気なんだ!」




「昨夜のはさぁ…、ちょっとある意味退いたよね」
昨夜投稿されていた作品に、取り巻き一同はこれまでの作品とは全く違ったものを感じていた。プロになるという事がどういうことかを知ったかのように…。
「うん。華燐さん、もう私たちなんかが話しかけちゃいけない人になったみたいで」
「構想もできてるのに時間かかってたのは、こういう事だったんだって」
「自信作って、そう言ってたけど、あそこまでとは…、ねぇ」
「ねぇ…、今のうちにサインもらっておこうか?」
掲載された朝と同じ『華燐』ファンが囲むが、いつもと空気が違う。
「い…いやだなぁ、やめてよ。私は変わらないよ。これまでと同じ華燐だよ」
まさかあれが自分のものではないとは言えない。プライドが許さないが、それ以前の問題である。
「でも凄いよね〜、自分でここまで作り上げた『華燐色』すら使ってないんだもん」
「バカね。天才は自分で完成させて、自ら壊してしまうものよ」
これまでの友達口調とは明らかに違う。
『何よ、この雰囲気!アナタたち、何を光ってんの!』
一同は「神」を崇めるかのようにキラキラしていた。
『ウザい…。ウザい!ウザい!』
祥子は苛立ちを必死に堪え、ヒクつく笑顔を作って見せた。
「あれは試作よ、試作。ま…、まぁ好評で安心したわ」
この言葉に回りが騒然とした。
「そんな!今回の方が凄いよ!絶対この路線で行った方がいいよ!」
「試作なんて、こっちが本領でしょ!これまでの作風はインターバルに使えば?」
「あの、握手してくれますか…」
眩んだ。
これまでの私は何だったんだろう。




カタ、カタカタカタカタカタ、カタカタ、カタ………
薄暗い部屋の中にキーボードを叩く音が鳴り響く。
「くっくっくっ…」
ディスプレイに照らされたその主は、口を歪め重い含み笑いをあげた。




描けなくなってしまった。
祥子はイラストなんて全く手に付かなくなり、そんな気も起きない。
描きかけで放置されたままの新作だが、祥子にはそれはどうでもよい事になっていた。


パソコンにかじりつく日が続いた。もちろんイラストを手がける為ではない。
『犯人は…、きっと着きとめてみせる!』
祥子にはハッキングの手法など全く知識はなかった。
が、ネット歴が長いと妙な噂も聞く事があった。


「ハッキング依頼を受ける人物がいる」


それはどうもデマなどではないらしい。具体的なアクセスの方法や、日々変わる暗号のようなパスワードも知っている。
ただ、そこに行き着くまでがわからない。
正攻法では当然ダメ。
専門誌や怪しげな雑誌を買い込んでは、日夜「ネット界の裏社会」を彷徨った。


そうだ…。
昨夜も偽者『華燐』が投稿していた。まだ二週間しか経っていないのに。


「振り落とされるベレロフォン」
またギリシャ神話がモチーフである。
神馬ペガサスに乗って魔物退治をした英雄だが、驕ったベレロフォンは神々の中に自分の席を求めた。
しかし人間であるベレロフォンは神になる事を許されず、ゼウスの放った蚊にペガサスを刺させ、暴れたペガサスから振り落とされてしまった。
魔物退治はペガサスの功績であり、ベレロフォンは神の力を持っていないのだった。




今朝の教室でも多くの取り巻きが祥子を囲った。
しかし口数少なく「ちょっと疲れてるから」と賞賛を拒否するように伏してしまった。
「それはそうよ、二週間でまたあんな凄い作品をあげたんだもん…」
回りもそっと見守るように、互いに声を潜めて『華燐』の新作を賞賛していた。




「コレ…?これじゃないかしら!」
真っ黒な画面に何やら英文詩が記されているだけのページ。
タイトルには『peeping』と。
噂に聞いた方法でアクセスすると、やはりパスワードを問いかけてきた。
「本物だ!」
その日にあたる暗号キーワードを入力する。


「ようこそ。依頼内容を明記してください。尚、秘密厳守は保証致します」
そんな日本語の案内文と記入欄があった。
「peeping」などと銘打っているから、本人は「Tom」とでも名乗るかと思えば、
「月(ライト)」
「『デス・ノート』かよ!フザケたヤツだわ!信用できるのかしらコイツ」
しかし祥子にはこれにすがるしか術を知らない。ここまで苦労して、ようやくたどり着いたのでもある。
サイトのアドレスと『華燐』と名乗る者(もちろん自分ではない方)の住所・氏名を知りたいと書き込んだ。
依頼内容や相手によって値段が異なると聞いていた。とりあえずは正体を知りたい。後は自分でどこまでも追いかけてやるつもりであった。


翌日、祥子の所にメールが届いた。
『ご依頼の調査、完了致しました。料金は一万円です。下記の口座にお振込み下さい』
あっけないものだ。
一万円が相場的にどうなのかわからないが、すんなり事が済んだようなら安い方ではないだろうか?どうやら相手も凝ったガードをしていたわけでもなかったのだろうと思われた。
ここまで来たら引き下がれない。祥子は言われた通り口座に振り込み手続きをとった。
その日の夜、「デス・ノート野郎」からメールが届く。
調査内容報告だった。
『調査報告、以下に記します。またのご利用を』
「もう行かねぇよ!」
それより報告書だ。
「S県K市O町…!私の近所じゃない!」
『氏名・sigemi kagawa』
祥子は驚愕した。
「シゲミ・カガワ!…香川茂美!!」


『ちょっと茂美、邪魔〜』
いつも隣の席に座っているあのコが!!!
茂美とは高校ばかりでなく、小学生の時から一緒だった。
当然よく知ってはいたが、友達でもなんでもなく、まともに会話した事があったかどうかさえ不明瞭だ。
クラスの中心的存在である祥子に対して茂美は地味で、小学生の頃はイジメの対象にさえなっていた。
「あんなコが!どうして!!!」




夜の駅前歩道橋広場。
祥子は茂美を呼び出した。用件を言うまでもなく、茂美は承諾した。
心当たりがあって当然だ。むしろ「ついに来たか」と感じとられるような笑みを浮かべた。


「わかってるわね、ここに呼び出された理由」
「…まぁ意外に早かったかな?って思ってはいるけどね」
ふてぶてしくさえ見える。学校では牛のようにおとなしいだけの冴えない茂美とは別人のようだ。
「まだまだあったんだけどなぁ〜、イラストのネタ」
「!!」
「本庄さんが…、いえ『華燐』さんって呼んだ方がいいかしら?もっと悔しがる所見たかったんだけど」
祥子は唇を噛みしめた。
「どう?どんな気分?『華燐』さん」
「気安く『華燐』って名前を口にしないで!偽者!」
「偽者?もう私が本物みたいなんだけど?」
「私の名前を返せ!!!」
夜の喧騒の中、祥子の叫び声が響きわたる。歩く数人の者が視線を向けるが、そのまま通り過ぎて行った。
「あっはっはっ!いいよ、そんなに怒鳴らなくても返すわよ。でも今さら『華燐』さんに戻ってどうかできるつもりかしら?」
「どうにかするわよ!」
「『華燐』はもう消えた方がカッコいいんじゃないかしら?」
祥子自身うすうす気づいていた。元の作風でどうにかなるのは無理だと。


「……どういうつもりだったの」
「わからないの『華燐』さん?」
「わかるわけないじゃない!なんて事してくれたのよ!」
茂美は柵まで歩み寄って遠くを見ていた。
「私…、小学生の時イジメられてたんだよね〜。覚えてる?」
「知ってるわよ。…ふふっ、無様に泣いてたアナタをね。あははははっ」
「…どうしてあんな事になったのか〜。そこまではどう?」
「知るもんですか!アナタがブスだからでしょ!」
「……四年生の時だった。写生大会がヨットハーバーで行われたわ」
祥子にも記憶があった。なぜならその年、祥子はS県で金賞を獲ったからだ。
しかし輝かしい過去なのに曇った記憶である事を感じた。
「本庄さんは賞を獲ったわ。学校では四年生の部で金賞を獲った児童がいるって賞賛してた」
「そ…、そうよ。僻んでるの」
茂美は体の向きを変え、柵を背にして祥子に向き直った。
「でも、あれは盗作だった!」
「!!!」
「私の後ろにいて、私と全く同じ絵を描いた!違いは提出時間だけ。私が提出した時にはもう本庄さんが出してたのよ!おかげで先生には『人マネは最低だ!』ってさんざん叱られたわ。私は…、私はうまく話せなくて…。先生、私の絵を破り捨てた」
「……そ、そんな盗作だなんて証拠どこに…」
「ないわ。私は次の日、クラスで先生にその事をみんなの前で言われたわ。…そうしてわたしはイジメられた」
「それだけじゃないわ。あなたがブスだからよ!あははっ」
茂美が睨みつけると、祥子も睨み返した。


「クラスが別だったから、私がどんな酷い事されたのかなんて知らないでしょ!」
「…だいたいそんな昔の話と何の関係があるの!今さら復讐?バカじゃない?粘着ってアンタみたいな人を言うんだよ!」
「…私は絵を描くことだけは誰にも負けないと思っていた。でも『盗作』扱いされたらいくら上手に描いても誰も認めてくれないんだよ!どんなに悔しかったか」
トラックがけたたましく警笛を鳴らしながら走り去ってゆく。
「ずっと一人で描いていたわ。誰にも見せられなかった。何度も泣いた」
「暗いアナタには似合ってるわ。それと私の騙りとどう関係があるの!」
「ずっと話してる通り。…ある時から『華燐』って名のイラストレーター志望の人が現れた。もちろん始めから本庄さんって知ってたわ、クラスであれだけ自分で言いふれ回っていたんだから」
「この粘着ブス!」
「私の夢を奪った『華燐』もその報いを受けるのは当然でしょ」
「…それなら『華燐』を騙らなくても自分のハンドルネームで投稿すればいいじゃない!」
茂美は大袈裟にため息をついた。
「まだわからないの?私、イラストなんてもうどうでもいいのよ。『華燐』さえ潰せば」
祥子には全く理解できない神経だ。
「あれだけの画力があって…、どうして…」
「あんなの遊び。いくらでも描いてみせるわ。私にはイラストレーターなんて情熱、とっくになくなってるんだから」


『狂っている』
祥子は茂美には何を言っても『華燐』潰ししか頭にないとわかった。
狂人はとてつもない絵を描くと聞く。復讐心だけであれは描かれたのだ。
「さぁ、これから『華燐』さんはどうするのかしら?」
「正直…、もう私も終りよ」
「あら?さっきと言うことが違うわね。じゃ、これから私が『華燐』でいてもいいですけど?」
この一言で祥子も壊れた。
「それだけは許せない!『華燐』は一人、私が『華燐』だ!」


祥子は茂美に掴みかかったところまでは覚えている。
気がついた時には、茂美が人形のように道路に転落した後だった。


華燐』は私だけだ…。誰にも渡さない。




翌月のトップページには『堕ちるイカロス[華燐]』と飾られていた。
しかし『華燐』はその後一切の消息を絶ち、素人イラストレーターでは語り継がれ伝説化していた。
プロからのオファーも殺到したが、当人は不明。


そんなことさえ『華燐』は知らない……。