クローバー





クローバー野原の向こうに白い灯台が見えるこの場所はあの頃と変わりのない風を運んできていた。
車を走らせる道中の街並みは知らないうちに綺麗なビルが建てられ、この野原も残されているか心配していたが、取り越し苦労であったようだ。
…ぼくの隣に君はもういない。
友達以上、恋人未満。ありきたりな言い方だが、そんな関係だったと思う。


あまりに突然の別れだった。
君がぼくの前から姿を見せなくなって、どれくらいの月日が経っただろう。
思い出のこの場所に来る事にも、ちょっとした勇気が要ったものだ。
君との別れ以来初めて訪れるのであるのだから。
もしかしたら君がいるかもしれない。そんな奇跡をどこまで本気で信じていたのかわからない。小柄な身体の君を見つけようとしている自分に苦笑した。
野原はただかすかに風が吹くだけである。


ぼく一人が佇むここは君が好きだった場所。
君はいつもこの野原に来るたびにクローバーを選び摘み取っていた。
幼い頃からそうしたことが好きだったらしい。
「どうして四つ葉のものを探さないの?」
君はいつもそう。意識的に四つ葉のクローバーを探すことはしなかった。
「幸せはね、そんなふうに探したりするものじゃないんだよ」
ぼくの問いに小首を傾げて答えていた。


曇り空の下、ぼくは灯台の方向へと足を向けた。
クローバーの草原を行くと、二人並んで歩いた時を思い出す。
君はぼくを試すかのように、よくおかしな事を口にした。
「人を二通りに分けるとしたらどんなふうに分けるの?」
「期末の試験までずいぶん先なんだけどなぁ…」
禅問答のような質問に戸惑ったりしたものだ。
「運のいい人、悪い人…、とか?」
「そうだね。それはどうにもならないことだね…」


林に隠れて小さくしか見えていなかった海が歩き進むにつれ開けてくる。
風も潮風が辺りの青い匂いと少し混ざり、独特な空気になった。
全てがあの頃と何も変わらない。「匂い」というものは思い出を運んでくるものだ。
君がいなくても…。


なにげない仕草を見ていると、君は自分の出した問いに答えたりしたものだった。
「回りの人にバカにされながら生きる人、回りの人に恨まれながら生きる人…」
「そりゃどっちも嫌だなぁ」
「でも人間なんてそんな二通りの生き方だと思うよ」
「そんなものかな?」
「なんて…、どうなんだろうね?ちょっとそんなふうに考えちゃったよ」


思えば間違っていないのかもしれない。
それは「勝ち組」と「負け組」の分かれ方に似ていると今になって思う。
君はそう言いたかったのかもしれない。
勝てば恨まれ、負ければバカにされるものだ。
あまり過去を語りたがらない君は苦労人だったのか、よくそんな例え話をした。
ぼくはどうなんだろう?
バカにされることはあっても、恨まれるようなことはしてはないつもりだ、と思う。
『負け組なのかな…』
でも、どうして人は他人と比較をしながら生きるんだろう。




あまりに突然の別れだった。
ぼくは一人、あの頃と同じように草原の真ん中くらいにある岩に腰をおろして海を見ている。濁った灰色の海は曇り空と同化し、水平線をおぼろげにしていた。
足元のクローバーをひとつ摘む。
三つ葉のクローバーだ。
たまたま摘み取ったものが四つ葉である確率はどれくらいだろうか。
「幸せはね、そんなふうに探したりするものじゃないんだよ」
君が答えることは最後までなく姿を消してしまった。
ぼくをどう思っていたのかさえわからない。


海の遠くに巨大な貨物船が見える。
こんな感傷もぼくはいつか忘れてしまうかもしれない。
人生という海はあまりに大きすぎる。
大きすぎるものを見ていると少し絶望感に似た感情がわき出るもの。
指につまむクローバー、小さなものを見ていると安心した気分にれなる。


……君が生きていたのなら……


野原一面に群生する無数のクローバー。
これも日常のようなものかもしれないと思った。
何の変哲のないのものもあれば傷んで少し枯れている葉のものもあり、そんな中ごく稀に四つ葉のものが紛れていたりするのだ。


…そうか…、そうだったんだ。


平凡な日常の三つ葉のクローバー。そんな幸せな日々にさえ気づかないのが人間なんだ。四つ葉のクローバーばかり追い求めて。
君はそう言いたかったのかもしれない。
あの頃の日常は過ぎてしまえば確かに幸せな日々だった。過ごしている時にはそんな当たり前の幸せに気づかずにいた。
今日という日常も平凡で幸せな日なのかもしれない…。


君が微笑むのを見た気がした。





*この話は「かえでシリーズ」の外伝にあたるものです。