小夜子のこと





わたしは小夜子が嫌いだった。


キレイで成績もよく、お人よしなくらいに面倒見がいい。なんでも父親は会社の重役らしく、育ちが良さそうなところからから察するに裕福な家庭であるようだ。
クラスの同じ班であり表面上は友達だが、わたしは常に小夜子を意識し、自分と照らし合わせては劣等感にさいなまれていた。


わたしが返されたテストに対して鬱になっていると、決まって優しく励ましてくる。
「でも、ほらこの問題あってるじゃない!わたしできなかったし、クラスでも正解率悪かったよ」
たまたまヤマが当たっただけだし、小夜子の方が点はずっといい。
「わたしなんかでも教えられることがあれば協力するから、神田さんの得意な問題教えてね」
わたしなんかの協力なんてなくても自力でどうにでもできるくせに!



小夜子には彼氏がいる。隣のクラスの原田君だ。
初めて聞いた時は意外に思った。原田君はごく普通の高校生だから。
でも、小夜子の彼氏と知った時から意識して見るようになると、普通ではあるけど全てにおいて平均を上回っていて、欠点らしいところが全くない。
さらに決定的だったのは、わたしがよそ見をして歩いていたら彼とぶつかってしまった時だ。


「わぁ!ごめん!大丈夫?」
わたしが悪いのに原田君は落としてしまったわたしのバインダーを拾ってくれた。
「痛くなかった?」
すごく優しそうな笑顔…。間近に対すると、結構背も高い。
スポーツ万能だとかバンドやってるとか成績が優れているとか、そんなスター性のある傲慢な男なんかよりどんなに素敵だろう。


小夜子のせいでわたしは原田君が好きになった。
彼女から彼を奪いとったら、小夜子はどんな顔をして、なんて言うだろうか…。


「神田さん、今日一緒に帰ろうよ」
小夜子が声をかけてきた。たまにではあるが、わたしは小夜子と下校を共にし、マックでハンバーガーを食べたりする。わたしから誘ったことは一度もない。
わたしの人付き合いの悪さに気を使って、いつも彼女が帰りを共にする友達には
「ごめんね。わたし、神田さんに相談したい事があるから」
と言って人払いをする。
そのくせ相談ごとなんてなにもない。わたしを笑わせようと色んな話を持ちかけてくる。
「こんなかわいい顔して」と退いてしまうような下世話な話まで恥ずかしそうにしながら言ったりもする。
そうしているうちにわたしはつい笑い声をあげてしまって、帰る頃にはすっかり元気になって気づくのだ、「わたしは落ちこんでいたんだ…」と。


「色々あるけど、いつまでも終わらない悩みなんて絶対にないんだよ」
この時もそうだ。原田君のことで少しふさぎこんでいたわたしに労いの言葉をかける。
「何があったのかわからないけど、元気になってね。わたしにできることならなんでも言ってね」
まさか「彼を譲れ」とは言えるわけもなく、ましてや小夜子を計画的に事故に遭わせられないかなどと考えていたとは口が裂けても言えない。


帰りがけに小夜子は自分の家まで寄ってほしいと言った。帰り道の途中で大回りにもならないし、断る理由は何もない。
彼女の家の外で少し待っていると、白桃の入った袋を抱えてきた。
「岡山の田舎から送ってきたの。おすそわけだよ」
わたしはそれをもらって帰った。くやしいが桃は大好物なのだ。
冷蔵庫で冷やして食べたら、あまりのおいしさに腹が立ってしかたなかった。おかあさんは早速小夜子の家にお礼の電話を入れると小夜子が応対に出たらしく、電話の後
「小夜ちゃんは本当にかわいいコだねぇ。アンタにはもったいない友達だよ」
と上機嫌だった。





そして2年生最大の試練、秋の遠足がやってきた。
生徒の間では遠足とは名ばかりで「シゴキ」だと悪名高いオリエンテーリング
班ごとの少人数に分かれ、地図とコンパスを頼りに山を時間内に下山する「放置プレイ」。


リーダーの強行作戦で、わたしたちは険しい崖を下る経路に付き合わされた。
運動神経が鈍いわたしには大迷惑な事だが、少数の反対意見が通る雰囲気ではなく、黙るしかない。
案の定わたしは悪い足場に足首を捩じって倒れ込んだ。足首に激痛が走る。
それでもこの劣悪な状況から抜けようと、みんなはどんどん先へと進んで行く。わたしは痛む足をひきずりながら遅れをとってしまうと、とうとうみんなと離ればなれになってしまった。
そんなわたしに肩を貸してくれて付き添ってくれたのが小夜子だった。彼女とわたしだけ取り残されることとなってしまう。
ようやく崖を降りたところで、わたしは動けなくなってしまった。足首の激痛が頭まで響くように痛んで座り込んだままベソをかいてしまう。
とてもじゃないが、立ち上がることすらできない。


「ここで待っていて。動けるようになっても絶対に一人で行動しちゃダメだよ」
どうにもならないと判断した小夜子はわたしを木に背をもたせて、道なき藪をかき分けて行った。


どれくらい経っただろう。わたしの意識が朦朧としてきた頃に小夜子が戻った。
「下の民家があるところまで行ってきたから。先生たちとも連絡はとれたみたいだからここで待っていれば大丈夫だよ!」
笹で切ったのだろうか、小夜子の手の甲から血が流れていた。それを簡単にハンカチで巻くと、タオルを出してお茶で濡らした濡れタオルをわたしの足首にそっと当てがい冷やしてくれた。
わたしの足首は異常に腫れあがっている。骨までいってしまっているようだ。
「がんばって、もうすぐ先生たちが来るから!」
小夜子はそんな足首を見ながら涙声で励まし続けてくれた。涙声なのは不安感からではなく、わたしに対する同情心からだという事はわたしにだってわかる。
こんな事になった原因であるわたしを責める素振りなど全くない。



高かった日が少し傾く頃、先生たちの呼ぶ声が聞こえてきた。
「ここでーす!神田さんが大変なんです!早く来てください!熱まででてきて!」
と大きな声で叫んだ。
その後、小夜子はわたしに抱きついて「もう大丈夫だよ、もう大丈夫だよ!」と何度も言っていた。


そうだ…、彼女はわたしにだけ特別優しいわけじゃない。誰にだってそうやって接している。
わたしの額には、やはり水筒のお茶で濡らせた小夜子の花柄タオルが乗せられていた事を、薄れた意識の中で憶えている。





わたしの足首は複雑骨折していたが、全治2ヶ月くらいで支障なく歩くことはできるそうだ。


面会ができるようになると小夜子がフルーツバスケットを持ってお見舞いに来てくれた。
しばらくぶりに聞く小夜子の声はとてもやわらかい……。
白桃があるのをめざとく見つけると、心細くなっていたわたしは彼女に甘えるように
「モモ…、食べたいな…」
と言っていた。
小夜子は笑顔を見せ、看護婦さんに聞くと「半分なら」という許しがでた。
白い指でスルスルと皮をむくのを見ていると、その手の甲には治りかけのキズ跡がまだ残っているのを見つけた。
わたしたちはひとつの桃を半分っこにして食べた。入院以来、味気ないものしか口にしていないわたしにはたまらない。
「おいしい?」
笑顔で覗きこむ小夜子にわたしは泣き顔でうなずくことしかできなかった。


小夜子はわたしにないものをたくさん持っているから…。


だから……。