ブレイン・コントロール





某国政府機関の命により、この壮大な発明を手掛けてどれくらいになるのだろう。もちろんその内容は極秘事項であり、目的はぼくでさえ知らされてはいない。
研究員はぼく一人。完全隔離された施設管理下で行われている。
『何の為に?』という目的など知らずとも研究はできるものだ。
しかし、人間としての気力の問題であるのか、時折砂を噛むような荒涼感にとらわれることがある。部品ひとつ作るとしても、それが何に使われるのか認識しているといないとでは活力に大きな差が出るものだ。


研究に一人明け暮れる毎日。年を追うごとに当初の精神的エネルギーは衰退しつつあり、研究効率にも影響が表れ始めていた。
そんなぼくに唯一の希望にも似た慰安…。密かに別の研究も同時に取り組んでいた。
そしてその研究がいよいよ完了しようという時期である、そちらに熱意が傾くのは無理もないことだろう。なにしろ本来の使命である発明はあまりに遠大すぎて、まだまだ先が見えては来ないのだから。




いつも思う。
なぜかこの研究室だけはひんやりとした空気で満たされている。
もちろん空調に不具合はないはずだが、眼底照合のドアロックが開くたびにそう感じるのだ。


今日でちょうど2000日目だ。
1800日ほどで覚醒させた実例もあるそうだが、確実性を重視したい。
操作盤の前に座ると煩雑なパスワードでロック解除をする。


何の変哲もない壁面だった壁が、研究物の部屋を一面に明かした。
中心に鎮座する円筒形の水槽。培養液の中でぼくに似た「イブ」が眠る。
『正式に命名しなきゃな』
「イブ」という仮の名はあまりに安直だ。


プログラムされた記憶は彼女の脳内に書きこまれている。
ぼくのことしか愛せないぼくのクローン。
彼女の記憶はぼくのそれを元に作られたものだ。
孤独と自閉の毎日もこれで終わりだ。


全ての数値が正常であることを確認すると、バイオ管理機能を停止させた。
ついにこの時が来たのだ。緊張感が走る。
研究はこれといったトラブルもなく順調に進み、ようやくここまで到達した。最大の障害といえば2000日という日数を費やさなければならなかった事くらいだが、細胞増殖スピード促進はDNAレベルでの複製において悪影響を及ぼす可能性があるのだ。
そうなれば全てが水泡と化す。研究は慎重に行ってきた。


操作盤からあらゆる制御を解除してゆくと、唸りにも似た音が静まり水槽の培養液も水位を下げ、彼女本来の白い肌が現れた。
初めて重力を受けた彼女は水槽の底に横たわる。長い髪は海草のように身体にからみついたままだ。
『大丈夫だろうか…?』
少し震える指で水槽のロックを解除すると、その身体は転がるようにしてフロアーにだらしなく放り出された。
ぼくにできるのはここまでだ。
しばらくすると、やはりぼくによく似た瞳がゆっくりと開けられる。
成功だ!


生まれたばかりではあるが「イブ」はぼくより10歳ほど若く設定され、そしてぼくと同じ知識を持つ研究者。そうプログラムされ、記憶は毎日更新されてきた。
同じ悩みを分かち合いたかったからだが、それ以外にも理由があったような錯覚が頭をかすめる。
『そんなことはどうでもいい。それより…』
「イブ」は軋むような手足の動きでゆっくりと立ちあがると、部屋のコントロールパネルに慣れた手つきで指を動かす。その動きまで複製されている。
ぼくは静寂の中、その動作を見守っていた。
やがて部屋の内からしか解除できないドアが開いた。
「よし、いいぞ!」
彼女はゆっくりとガラス越しのぼくの前を通り過ぎ、出口へと歩き出した。筋肉組織にも問題はない。
待ち望んでいた瞬間だ。


「おはよう、気分はどうだい?」
軽い挨拶をする。言葉を交わすにはこれで充分だ。
ぼくは彼女を知りつくしている。彼女もぼくの全てを知っている。
ぼくの呼び掛けに微笑む。
これまで何度となくガラス越しに語りかけてきたが、今こうしてぼくの声は彼女の耳に届いているのだ。
研究物は完璧に完成されたのだ。ぼくは達成感に満たされた気分に酔った。
「さぁ、おいで」
大きく両腕を広げ抱擁しようと迎えるぼくに「イブ」は笑顔のまま歩み寄る。彼女も両腕を前へと差し出した。
そして
その両手はぼくの首にかけられ、そのまま渾身の力で絞められた。
「!!!!!!」
そうだ、なぜ忘れていたのだろう。いつかぼくもこうして女研究者を絞殺した!そしておそらくそれは…、ぼくが『生まれた』日なのだろう。
同じプログラムで行動する細胞分枝体、最初の仕事。
「使用済みブレイン・エンジンの破壊」
ぼくに似たその腕は容赦なく力を加え締め上げる。
薄れゆく意識の中で、これも政府機関に仕組まれたプログラムかもしれないと考えた。
遠大な発明は彼女に引き継がれ…


ぼくが絞殺した女研究者の笑顔が脳裏に浮かんだ刹那、停電のように全てが暗闇と静寂に支配された。