いっしょに帰ろう





「でさぁ、なんかソイツがしつこいワケ。下心丸出しーって感じで」
由梨絵の話を和美はすでにうわの空で聞いているようだった。
わたしも少し辟易してきたところだ。
下校時に聞かされる由梨絵の話も、最近すっかりパターン化が進んできた。
「まぁ、なんかキモくなって帰ってきたけどさぁ。あっ、ヒロも和美もこの事はタカユキには内緒だよ!」
「…ん?…あ、うん、そうだね。わかった」
わかったも何も、由梨絵の彼氏である『タカユキ君』は2年の付き合いらしいが、わたしも和美も誰も会った事はない。
K大で身長187、キアヌ似で…。乗ってる車はなんだったろう?よく変るから憶えていない。


「じゃわたし、ここで…」
和美がいつもの道とは違う方向へ向かおうとした。
「え?どこか寄っていくの?買い物なら付き合うよ」
「ううん、そうじゃなくって。あ、ヒロは知ってたよね、美沙ちゃんのこと」
「え〜っと…?」
「誰、そのコ?」
由梨絵が口をはさんできたが、わたしもよくわからない。
「ほら、B組の。わたし達3人で文化祭、回ったでしょ?」
「ああ、わかった!和美と同じ中学だったコだよね。覚えてる覚えてる」
「そそ。今日、休んでるんだよね、学校」
にこやかでおとなしい感じのコだった。あの時は、ほとんどわたしと和美が話してばかりで、たまに視線を向け目が合うとちょっと照れたように微笑み返していた様子が思い出された。
おとなしすぎてうすくなってしまった印象を、なんとか思い起こした。
「ずっと返そうとして忘れてたCD、今日持ってきたんだけど、なんか具合よくないのかなぁ。B組の子に聞いたら休みだって。それで家までお見舞ついでにって思って」
「いいじゃん、明日でも。お見舞なんかよりもさ」
「わたしも行くよ!」
由梨絵を制して、わたしは和美にそう言った。
「一度でも一緒に遊んだんだもんね」
本音は由梨絵の話を一人で受ける「気力」が今日はなかったからだ。義理堅いところのある和美はきっと止められないと思ったのだ。
「ヒロまでぇ?…いいよ。わたしそのコ、知らないから帰ってタカユキと会うから」
由梨絵はカバンからやけにデカい手帳を取り出し、ケータイ番号を調べ始めた。
「なぜメモリーしていないのか」なんて、誰も触れようとはしない。



どこにでもある平凡なたたずまいの家の呼び鈴を鳴らすと、彼女に似て物腰のやわらかそうなお母さんが出迎えてくれた。
丁寧にお礼を言われると、わたしたちはガラにもなく恐縮してしおらしくなってしまった。美沙ちゃんの部屋へ通されると
「和ちゃん!どうしたの?」
と、少し驚いたようにしてベッドから身を起こす美沙ちゃんがいた。やはり顔色が冴えないように見えるが、確か元々色白なコだったと思う。
お母さんが運んできてくれたジュースとクッキーをつまみながら少し話していると、だんだんわたしも打ち解けることができた。


「ふぅん…。風邪ひくと必ず高熱が出るなんて辛いよね。かわいそう」
「でも子供の頃からだと慣れるものですよ、浩子さん」
「いいよ、浩子『さん』なんてやめようよ、ね。ヒロでいいよ」
「あー、ダメダメ。美沙ちゃんはわたしにだって『ちゃん』、外してくれないんだもん。だから、仕返しにわたしも外してやらないんだ」
そうでもない、とわたしは思った。彼女のキャラクターには『ちゃん』が必要そうである。
「じゃ、わたしも和美に加勢して『ちゃん』はつけたままにしよっと!」
「おぉ〜、のび太!心の友よ!」
「いつのジャイアンよ!懐かしいじゃない!」
ふざけ合うわたしたちにつられ、美沙ちゃんも笑っていた。


『3人で話している』
そう思っていたのはわたしだけだったようだ。しばらくして
「美沙ちゃん、熱でも上がってきたの?なんか苦しそう…」
和美がそう言うと、わたしは知らないうちに和美とだけ話していた事に気づいた。そういえば美沙ちゃんの声はあまり聞いていない。
「うん…、少し…。ごめんね、横になっていいかな」
「だって病人だよ。……あ〜!また変に気を遣って我慢してたんでしょ!」
そうか…、こういうコもいるんだ。わたしには考えられない。
美沙ちゃんは身体を寝かせると布団を引き寄せた。
「美沙ちゃん、大丈夫?ごめんね、なんか気を利かせられなくって」
「いいんですよ、浩子さん…。わたしの方こそごめんなさい…」
なんて、弱々しい声だろう。きっと苦しいに違いない。
わたしは別の意味でもこのコの行く末が心配になってきた。
「具合悪い時はちゃんと言わなきゃ」
「はい…。かえって迷惑かけてしまいますよね、これじゃ…。ごめんなさい」
同じ高校2年の女の子なのに…。わたしだったら、苦しいだの辛いだの痛いだの騒ぎたてて、そして。
「っっっ!!!!!」
さっきに寝転んだばかりなのに、急に上半身を起こした美沙ちゃんは胸元に手をあてがっていた。
「えっ?えっ?どうしたの!」
わたしにはわからなかったが、和美がすぐに抱えこむように身体を支えると美沙ちゃんは激しく咳き込んだ。
「だ、大丈夫?!」
和美は黙って背中をさすり始めた。
「ゲホゲホゲホ!!!ゴホンゴホン!!!」
わたしはどうしてよいのかわからず、なぜか傍にあった塗れタオルを水に浸して絞っていた。
「ゲホーンゲホーン!ゴホゴホゴホゴホゴホ!!!」
「……美沙ちゃん」
「ヒロ、そのタオル貸して」
「あ、うん」
和美は背中をさすりながら、美沙ちゃんの額を拭いた。
呼吸困難になるのではないかと思うくらいに激しく長い咳。全身を上下させ、ものすごい大きな声で咳き込み続けている。しだいにその声はつぶれて、年配の男のような野太い咳き込み声になった。
おとなしい美沙ちゃんからは想像もつかない声だ…。
「しっかり…。大丈夫だよ」
和美は献身的だった。
わたしは気づかない間になぜか洗面器を抱えていた。


「和ちゃん……、わたし、またやちゃったね…。浩子さん、驚かせてしまって……」
長い発作のような咳が治まると、かすれた小さな声でそう言った。
「ダメ。無理に話さないで」
和美に支えられながら身体を横たえる美沙ちゃんの声は少し涙声に聞こえた。




「喘息?」
「そう。中学の時にもあんな感じの発作が何度かあってね」
帰り道、和美から美沙ちゃんの事を聞かされた。
「……いいコでしょ、あのコ。でも、子供の頃から体調崩すと発作が起きたりすることがよくあるらしくってね。咳が止まらなくなると声がものすごい声になってしまって…、ずいぶん辛い思いしてきたんだって…」
「…………イジメとか?」
「…まぁね。心ないヤツから『ジジイ』だなんて言われたり、『結核が伝染る』とか…。そんなじゃないのに!わたしはそういうの絶対許せないから」
『和美らしい』、わたしは思った。


色んな人間がいる。
わたしはこの日、それを強く感じた。由梨絵だって悪いコじゃない。姐御肌でここぞという時につい頼ってしまったりする。だから普段リーダーシップは由梨絵がとろうとも、わたしも和美も不平や文句はない。
わたしはどうだろう?人に好かれる要素なんて持っているんだろうか?何から何まで中途半端な人間だと思う。
和美、由梨絵、それに美沙ちゃんに対して引けめを感じてしまう。
例えばもし和美がさっきの美沙ちゃんのようにシワ枯れた声になったとしても、わたしは平気だと思う。
由梨絵にしたってたぶん同じだろう。
もしわたしがそうなったとしたら、労わってもらえるのだろうか?
美沙ちゃんの発作が治まった時、あの時の声に驚きはしても嫌悪感は感じてはいなかった。それはきっと、わたし自身が彼女に惹かれ始めているからだと思う。
誰よりも自分自身が一番苦しかったはずなのに、わたし達を気遣うコもいる。
わたしなんかには人を惹きつける要素なんて何ひとつない…。


和美と並んで歩く道。
あたりはもうずいぶんと暗くなっていた。


            ***


「浩子さん」
お昼休み、美沙ちゃんがわたしの教室に来た。
「わぁ!美沙ちゃん、もうよくなったんだぁ。あ、そか。和美だね?え〜っと…」
「いえ、浩子さんにお話が…。謝らなきゃって…、それで」
「はぁ?何言ちゃってんの?何も謝る事なんてないよ。…あ?まさか、この前の事気にしているの?」
「…はぁ、初めはそうでした。でも、その…、和ちゃんに叱られて…。『浩子さんはそんな人じゃない。わたしの友達を見くびらないで』って…」
あの日からわたしは「自分」というものを考えていた。人の目にどう映ってるんだろう、こんな人間でわたしはいいのだろうか、などと。
『和美がそんな事を…』
そういえばいつか由梨絵に言われた。『昨日、和美とカラオケ行ったんだけど、ヒロがいないとイマイチ盛り上がらないんだよね〜』
何もかも中途半端なわたしでも…。
美沙ちゃんはこんなわたしの所にわざわざ言わなくてもいいお詫びを言いに来てくれている。


「………美沙ちゃん!」
突然の声に少しビクッっとした彼女にわたしは言った。
「今日、よかったらわたし達といっしょに帰らない?遊んでいこうよ!ねっ?」
わたしはこれでいいんだ、たぶん…、きっと…。
これからは3人グループが4人グループになれそうな気がした。
由梨絵の脳内彼氏?美沙ちゃんなら全然大丈夫。
由梨絵だって実は世話好きだ。 美沙ちゃんみたいなタイプのコには弱いはず。
美沙ちゃんの顔色をそっと伺う。
『よかった!嬉しそうに笑ってる!』