偽随筆 ・ 世界名作劇場





えと・・・、エッセイの方がぐだぐだになってしまってますから、今後は動画を貼り付けて印象を薄めますね (^ω^;)
とはいえ、わたしの貼り付ける動画はほとんど80年代の音楽になってしまいそうですが・・・。
偽随筆の内容と関係なかったり、あったり・・・。



初音ミク / 砂に消えた涙】




って、コレって60年代の曲ですよね ( ̄▽ ̄|||)
わたしが知ったのは、車中たまたまかかっていたFMで、桑田さんがギター弾き語りで歌っていたのを聞いて「あ、コレ、いい!」って思ったのですが。
てっきりサザンの曲かと思っていたのですが、弘田三枝子さんだったのですね。昭和ヲタのはしくれとして彼女のことは少しは知ってますよ〜。
「わ」を「は」って歌うんですよね。例えば「わたし」を「はたし」って。「夢見るシャンソン人形」とか「人形の家」あたりが有名です。








アニメの「世界名作劇場」のお話です。

とは言え、実はわたしあまり見ていないんですよね (´・ω・`) なんかこんなパターンばかりですが・・・。
チラ見とか部分的に見ていたりとか。
通して見たのは「小公女」と「赤毛のアン」。
でも、ある方に「名作劇場は大きく分けて3パターン、そのうちのふたつの代表作を見ているのなら充分じゃないでしょうか?」とmixiの方で言われたことあります。
(3つ目のパターンの代表作は「フランダースの犬」「母をたずねて三千里」らしいです)


去年、会社のパートさんから「ペリーヌ物語」を強く勧められ、ちょっと見たのですが・・・、おもしろい ( ̄ー ̄)ニヤリ
3つのパターン分類では「小公女」系でしょうね。逆転人生。(一度は死にかける。野垂れ死んで蛆がわいた死体を人に見られたくないと、這って森に移動するところは、精神的にグロかったです・・・)
絵柄は知っていたのですが、主人公のペリーヌがちょっと地味で ( ̄m ̄*) でも、見ているうちにペリーヌは地味でなければならないとわかってきます。
前半と後半とでは全く違いますね。(前半さわやか、後半ドロドロ)
最後までレンタルで借りて見ました ( ̄∀ ̄)ノ これで通して見た作品は3つになりました。
牧場の少女カトリ」は半分くらい見たかなぁ。。。OPとEDの歌は好きでした。(放映当時はそんな概念はなかったのでしょうが、現代では「ろりーん」なのですよね・・・)


で、
最初に見たのは「小公女」、アニメでは「小公女セーラ」というタイトルでしたね。
次いで「赤毛のアン」を見ました。
でも・・・、「セーラ」ではいじめっ子の小悪党のラビニアの声優さんが、主人公アンの声をやっているのがどうもねぇ・・・ σ(^_^) ポリポリ
赤毛のアン」はちょっと高年齢向けな作りだったように思います。全体的に落ち着いた感じでした。
そこで止まってしまったんですよね。「フランダースの犬」はあまり食指が動かなくって。アレがいけないんですよ、ほら「なつかしのアニメ番組」。必ず例のシーンが出るじゃないですか。食傷気味になって、もう感動できなくなってしまいます。
そもそもわたしはメジャーなものとか、完成されたものってあまり好きになれないんですよね・・・ *_ _)σ


と、こんな感じですが、これでわかると思います。わたしのお気に入りは「小公女」です。(絶対に動いてはいけない衛兵さんが、見るに見かねて雨の中散らばってしまったジャガイモを黙って拾うシーンは本当に泣けます!あの衛兵さんは男・・・、いえ漢です!)
世界中の少女のバイブル「赤毛のアン」ではないですねー。
アルプスの少女ハイジ」も「赤毛のアン」系だと思うのですが、ちょっと・・・。なんかハイジって、わかっててわざとロッテンマイヤーさんを怒らせるようなことをやっているように見えてしまって。天然を装って計算している芸人さんみたいな ( ̄、 ̄*)
ですから、「小公女」あたりを話してゆきたいと思います。


この物語を初めて見たのは小学生の頃、絵本のようなもので短くとても簡素でした。
そうして中学生でアニメ(再放送)を見て、大学生になって原作を読みました。
余談ですが、この原作の文庫本の表紙はアニメのセーラが描かれていて、古本屋さんで発見した時は「お宝本発見!」ということで原作本を買ったとゆー、いかにもわたしらしい・・・ (^ω^;)
ここで、
「小公女」と「小公女セーラ」は国民性の違いが出ていることに気づきます。
原作はアメリカの作家、バーネットさんですが、主人公のセーラがイギリス人らしい人物像で、落ちぶれても、いじめられても気高くプライドを持って生きる少女として書かれています。
お金持ちに返り咲くと、確か最後は女学院に対して悪態ついて去って行ったんじゃなかったかなぁ。。。その・・・、原作本は押入れのどこかにあるはずです σ(^_^) ポリポリ
一方、アニメは日本人が美徳とする「耐え忍ぶ」という面が全体に表現され、お涙ちょうだいシーン多めです。健気なセーラは萌えです(外国人は萌えを理解していないなんてよく言われていますね。日本古来の「わびさび」のよーなものに通じるのかも。でも最近は『萌え』という言葉を聞かない気がします。もう、死語になってしまったのかも・・・)最後は女学院に多額の寄付金をした上に、またその学院の生徒として学ぶというお人よしぶり・・・。
一度はテレビの再放送で見て、大学生になってからDVDレンタルで見直しましたが、なんかカットされたシーンがずいぶんあったよーな・・・ ?(。_゚)?
ジオング・ミンチン院長がセーラの服をひっぺがすシーンとか、グーで殴るシーンとか・・・。まぁ、DVD化にあたって今ではさすがに規制が入ってしまったのでしょうね。

でもね、
実はあのお話は「裏主人公」がいるのですよ ( ´艸`)
ずっと仲間でいたベッキーのサクセスストーリーなのです。
貧しい家の子だくさん家庭から、学院のメイドとして働きに出された田舎の女の子ベッキーは心優しく、及ばずながらも精一杯セーラを助けるんです。これまた健気です、萌えです。(わたしは『萌え』という言葉は便利でわかりやすいから普通に使いますが。いちいちコメント入れるのもアレだから、話の中断はもうやめるけど)
そうして、セーラがお金持ちに返り咲いた時、専属メイドとして引き取られお金持ちのメイドさんになります。その後までは出てないですが、流れとしてはベッキーの家族もひきとって豪邸に住むことでしょう \(^o^)/
そうですね、わたしはセーラよりベッキーの方が庶民派で好きでしたね。
あ、「ベッキー」というのは呼び名で、正式には「レベッカ」という名前です。レベッカという名の子はいやおう無しにベッキーと呼ばれるみたいです。「吉野さん」が必ず「牛丼」ってあだ名されてしまうよーなものかも。
わたしの小説にもこの名前は使っていて、「レベッカの呼称がベッキーというのは無理がありすぎませんか?」と言われてしまいました・・・ *_ _)σ チャウネン・・・



と、こんな感じで終わってしまっては「毒」がないですよね (☆_・)
世界名作劇場」・・・。
お子様に世の中の仕組みを隠し伝えているという説(わたしが勝手にそう思ったのですけど ^ω^;)
すなわち、それは「世の中、お金!」・・・、これです。
セーラもペリーヌも逆転人生を成し得たのは、お金持ちの肉親に見つけてもらったからなのです。清く正しく生きたからではありません。
清く正しく生きても、貧しい者は朽ち果てます「フランダースの犬」ネロ少年のように。

ふっふっふっ・・・ ( ̄ー ̄)
はっはっはっ・・・ (^∇^)
わーはっはっはっー!(((゚∀゚)))
(普通は恥ずかしくてできない三段階笑い、「絶望先生」より)
侮り難し「世界名作劇場」なのですよ ( ̄▽ ̄|||)