偽随筆 ・ 無神論者








ブログタイトルを変えました。だってあのまままじゃ・・・、ねぇ。
タイトルは「あの方」からのパクリなんですけど ( ´艸`)
(『谷山浩子がどこかこのへんに・・・』)


スターダストレビュー / 今夜だけきっと



この方たちの曲はコレしか知りません(師匠編集のオムニバスに入っていました)
でもサビの部分はなんか耳に残ります。
ちょっと変わった曲ですね ( ̄∀ ̄)ノ







*信心深い方には毒性の強い内容となっていますからお避けください m(_ _)m




わたしは基本的に無神論者です。「宗教入らない教」教徒ってのもそこからきているかもしれません。
あ、あくまでも「基本的に」ですから、細かい指摘とかされたら矛盾点も出てしまいますけど。


もし仮に神様がいるとしたのなら、それは一般的に想像されていたりするよーな存在ではないと思うんですよね。
ものすごく気まぐれでヤル気なんてなくって、人間をはじめ動物植物、森羅万象みんな嫌い・・・。そんな存在じゃないかと思います。
いなきゃそれでも全かまわないような。


そもそも神様なんていかにも人間が考えそうな発想です。とってもご都合主義な。
こんなことを言ったらアレですけど「神をも恐れぬ行為」なんてないですよ、きっと。わたしはそー思います。


例えば運。
運は神によって平等に分け与えられているなんてのがそもそも間違っています。
何ひとついいことなく死んでしまった人なんていくらでもいます。時には悪いことに手を染めて幸運にも恵まれ富を成し遂げ、幸福の中で死んでいった人もいることでしょう。
素質もそう。天は二物も三物も与えたり、ひとつも与えなかったり。
不平等で当たり前。平等である方が不自然です。
人生、いいことと悪い事がプラスマイナス・ゼロで終わるなんてのは人間の願望でしかないのです。「そうあるべきだ」って勝手に思いたいだけで、実際は悪い事の方が圧倒的に多いまま人生を終えることでしょう。


人の命を救うようなことをした翌日に事故死したり、盗んだお金でギャンブルして大儲けしたり。そんなものです、世の中なんて。
人間皆不平等で、あるのは「偶然」だけ。ただそれだけのお話です。
「バチが当たった」と思うのはその人の罪悪感がそう思わせるのでしょうね。
逆に善行を重ねていれば運は開けるなんて、そんな偶然もあるわけで。
だからと言って、悪いことしていいわけじゃないですよ。人に迷惑をかけるのはよくありません、神とか抜きにして道徳的な部分で。何をしてもいいんなら世の中が無茶苦茶になってしまいます。


宗教はねずみ講のよーなもの。信者からの搾取が目的で、時には他教徒と争いが起きます。歴史を遡れば、宗教によってどれだけ多くの血が流されたことでしょう。
根源は人間のエゴなんです、神様を盾にして。
豚や牛を食べちゃダメなんて勝手なルール、自然界では普通に動物が動物と食べています。
歴史と言えば、日本史を真面目に勉強していたら警察にも不信感を持ってしまうことでしょう。例外的な方もいるでしょうけど、あの方々は「正義」なんてどーでもいいのです。自分のお給料や保身や出世や名声が大切。だから平気で嘘をつきそれに対しての罪の意識はありません。
警官の方が「正義の味方」だってみんな思いたいだけで、実状は裏切りでしかありません。
警察と犯罪者にどんな差があるのでしょう・・・。
人間のことだものそんなものでしょ?


わたしの通っていた幼稚園はお寺が運営していて「神様はみんなお見通し、だから悪いことをしたらいけないし、よいことをすれば幸せになれますよ」みたいに教えられました。
でも、生きているうちにそれがだんだん怪しいものだと気づきました。
むしろそんな人を食いものにしてうまく立ち回った人が幸せになっています。
現実は常に冷酷でリアルなものです。


全ては「偶然」の産物。


そうは言いながら、ピンチに陥ると祈ってしまう。さんざん悪いことしてても。
矛盾した生き物が人間なんです。
そんな人間の祈りの儚いこと。。。


以上、無神論者のタワゴトでした。