偽随筆 ・ 今頃どうしておいでだろうか?











戸川純 / 蘇州夜曲】



普通に歌えば歌は上手な人なんです。
蘇州夜曲を「気持ち悪い歌」と言うあたりに、当時のビートたけしさんの勢いを感じますね ( ^ω^)








このブログにもちょいちょい名前を出してきた「昭和師匠」。
師匠のこと、ちゃんと書いたことありましたっけ? σ(^_^) ポリポリ
重複してしまうかもしれないけれど、師匠について思い出してみたいと思います。mixiではほとんど語ったことはなかったからいいよね?


師匠は大学の時の仲間の一人です。そして、一番仲よかった方なんです、女の子の友達よりも。
あ、いえ、付き合ってはいませんでしたよ。今になって思えば好きなタイプだったし、そーならなかったのが不思議な感じさえします。
まぁ・・・、わたしは異性として見られていなかったみたいだから、告ってもフラれて気まずくなっていたかもしれないから、あれでよかったのかもしれません (´・ω・`)
ちょっと人見知りなところがあって、仲間うちでいる時はすごくおとなしいのですが、二人っきりになると関西人の血が騒ぐのか、ものすごく饒舌になったものでした。
他のコに「○○○君って本当はすごくお話好きなんだよね」って言っても「えー?どこが?暗いよ」だそうで・・・。でもわたしにはうち解けてくれました。
コープランドさんとも何度か一緒になったことがありましたが、二人でいる時と同じ調子でおしゃべりしてくれました。コープランドさんにも心を開いてくれていて嬉しく思ったものです。
「○○っぺ(わたし)は高校の頃どんな感じやった?」とか聞いていましたよ。「こいつは変わってないよ。このまま」って答えていましたけど、思い出話とか聞きたかったみたいです ( ̄▽ ̄|||)
大学の仲間といる時は、わたしを苗字で呼ぶのですが、そーでない時は名前に「っぺ」をつけて呼ぶんです (^_^) け○○さんもそー呼ぶけど、語呂がいいみたいです。
わたしもみんなでいる時は苗字で「○○○君」って呼んでいたけど、二人の時は「師匠!」って言ってましたけどね (^ω^;)


ともかくその名の通り、旧いこと・・・特にわたしたちが生まれる前後のことにすごく詳しいんです。
下地はわたしにもありましたが、彼から薦められた音楽やマンガや映画などはみんなどれも面白く、わたしもそーゆーことにのめりこんでゆきました。
師匠のアパートで熱い昭和談義したり(師匠、毎回のよーに飲んでしまうからよけいに熱が入るんです)、音楽を解説入りで聴いたり、薄暗くして映画観たり・・・。試験前には勉強も一緒にやったりしました。
当時、コープランドさんには「いいヤツじゃないか、付き合っちゃえよ」なんて言われましたが、わたしにも色々あったし・・・。そもそも、二人っきりでおかしな感じにならなかったんだからそんな間柄ではなかったのでしょうね。。。
たくさんのCDやテープをもらってしまいました。
アニメ「一休さん」の歌詞を教室のホワイトボードに書いて、「これは深い歌詞やねん!」と熱く講義してくれたのは忘れません。


急に「○○っぺ、もっと笑わなアカンで、目ぇ死んでる時あるわ」なんて言われてしまうこともあったなぁ。。。
「景色のいい所行って気晴らしでもするかー?」って、ドライブに誘ってくれたことも何度かありました。
優しい人だったんです。。。
わたしから手をつないで「ほら、こうしてるとカップルみたいだよ。あはは!」なんて言うと「やめやめ!照れるわ!」って払われてしまいましたけど。やっぱりわたしはそーゆー対照じゃなかったみたい ( ´Д⊂ヽ
でも彼のおかげで大学生活は5倍くらい楽しいものになりました。


わたしん家に遊びに来てくれたことも何度かあったよ ( ´艸`)
ウチにお友達が来ると、おかあさんがお菓子持って来たりする時に「出来の悪い娘と仲良くしていただいて・・・」ってすぐに土下座みたいなことするから (;−"−) ドーセ、ワタシナンカ・・・
師匠もカチカチになって「いえ、ぼくが遊んでいただいている立場ですから」なんて、負けずに土下座返しするんだよ。わたしなんかほったらかし〜・・・。
どこにいても会話は「昭和談義」でしたね。「今日は貴重なもん手ぇに入ったから」って昔のビデオ見たり。そのひとつが冒頭のビートたけしさん主演のコメディー刑事ドラマです。ここから戸川純さんに興味を持ちましたね。
「おぅ!えぇとこに目ぇつけるな!この人メッチャええで」って、その後音楽活動しているものを紹介されハマったものでした。


家族には何度もお友達だって説明しても、彼氏でしょ?って扱いだったし、弟は「絶対オレの方がカッコいい!」とかわけわかんないこと言うし・・・。
そうですね、弟はともかくわたしの家族には誠実そうないい人って好印象でした。



こっちで就職活動はしていましたが、当時から就職氷河期で内定がとれず「実家に帰って酒屋の跡継ぎにでもなるか」と卒業すると神戸に帰ってしまいました。
その後、
ケータイを変えたのか繋がらず、実家の住所も電話も知らず、全く連絡がとれなくなってしまいました。大学の仲間も彼の消息を知る人はいません・・・。まさかこんなことになってしまうなんて。。。


師匠がいた頃よりも、この街も寂れて思い出のお店などがどんどんなくなってしまいました。
これが「時間」というものなんですね・・・。
でも、
彼が残してくれた思い出や、教えてくれた80年代文化はずっとわたしの宝物です!


夢のように過ぎ去ってしまった方でしたが、今も元気でいることを願ってやみません。