偽随筆 ・ ネットとわたし(長い愚痴)












相曽晴日 / コーヒーハウスにて 】


少しはわたしらしさを出せたでしょうか? (^ω^;)
知る人ぞ知る80年代です。わりと春らしい曲だと思います。



いかにも80年代な気取りがねー。味があります♪
「風に色があるとかないとか」、今どきラノベの人だってそんなこと論議しないよ・・・ ( ̄▽ ̄|||)












改めましてこんにちは、ソフィアなのです。
・・・ウソつきソフィア、荒しのソフィア・・・ (ノД`)・゚・。


郷ひろみさんの「寒い夜明け」は耳に残りますね〜。コメントでも絶賛されていたし、佳曲だと思います。この曲で楳図先生の自爆を思い出しました (^_^) かなり前ですけど、NHKのある番組(生放送)に楳図先生が出ていて、話の流れで楳図先生が「あの時代に『漂流教室』をすでに描いていたんです。少女マンガもやっていたし作詞もしていた。だからぼくは天才と呼ばれていたんです!」その後に何かの中継が入って、スタジオにカメラがもどってきたら楳図先生が「さっきは調子に乗ってすみませんでした・・・」って ( ´艸`) 中継の間、NHKの人に叱られたんでしょうね・・・。
西城秀樹さんの「若き獅子たち」は好きです。マーチっぽいんですよね。大学の友達が市民吹奏楽バンドやっているから、リクエストしてみようかしら?楽譜が手に入るかどうかわかんないですけど、ブラスバンドで演奏したら盛り上がる曲だと思います。


いじらないように、触れないようになんて書いたのに・・・ *_ _)σ やっぱり興味をひくネタには反応してしまいます。
わたしをネタにすると荒れる。そういう声もあがり始めました。
小説執筆スレでもそうでした。わたしの知らないところで加熱して、わたしの話題でレスジャック状態になったりして、ソフィアは荒しの烙印を押されてしまい、そうなってしまうともう顔出しできなくなります。だって、わたしの名前を出しただけで荒しってルールができていたんですよ。


いつだってそうだった・・・。


mixiの時も一時結託したちゃんねらーさんたちが暴れて、粘着おじさんに全てわたしの自演の仕業と決めつけられて荒れまくって、結局は退会を余儀なくされた。一人であれだけのことができるはずないでしょう!わたしはテロ行為がイヤですぐに抜けましたよ!
いつもわたしの知らないところで事が進んでゆく・・・。
そうしてわたしはパソコンを手放したのに。。。


・・・・・雨が降っています。













わたしがネットを始めたのは中学生になるのと同時だった。
すごく不安定な時期で、その年の秋に心療科に行くと「典型的な鬱症状です」と言われ、鬱病ってこんなに簡単になってしまうんだってのが実感でした。


それはそれとして、当時はある意味怖いもの知らずで、ネットでもおかしな所にだって平気で顔を突っ込んでいました。
ある日曜日のお昼(そこははっきり覚えています)、チャットルームがずらりと並ぶ所で様々な「部屋」のタイトルを見ていた。その頃には大勢で、話題やテーマが混沌とするチャットには飽きてしまっていて、じっくりとお話ししてみたかったんです。
「病弱な女の子が好き」とタイトルされた部屋に一人で待機している方がいました。なんとなく小学生の時のみ○○ちゃんを思い出して、気づいたらそこに入って挨拶していました。もう引退されたからHN出してもいいよね。「あすとろさん」という方がいました。
思えばわたしの本当のネットデビューはこの瞬間だったと思います。
少し話しましたが、とても紳士的な方で言葉のあたりもよくって、すっかり安心して話していました。
彼もそうしているうちに心を開いてくだしました。
「実はぼく、特殊性癖を持っているんです」と。
「よかったら、ぼくのサイトで話しませんか?チャットもありますから」と誘われるがまままに出されたアドレスにログインすると・・・。
驚きましたよ。そういうことに性的興奮する方がいるなんて。(このあたりはオフレコです)
でも、不思議と嫌悪感はなかったんですよね。今になって思えば普通の人なら眉をしかめて逃げ出すところだったのかもしれませんが、幸か不幸か(?)わたしは病んでいましたから (´-`).。oO
そもそも、そのあたりに嫌悪感を持っていたら、み○○ちゃんとあんなにも仲良くなれなかったはずです。


そしてわたしはあすとろさんのサイトの常連となり、リンクつながりで多くの方々と知り合うことになりました。恥ずかしかったから性別は男性を騙って年齢も伏せていましたけど ( ´艸`)
平たく言ってしまえば「変態」ですよ、みんな。なのにとても礼儀正しいんです。女性もわりといましたよ。


あすとろさんのサイトには、そーゆーことをテーマにしたショートストーリーが3編あげられていて、そーゆー部分はともかく自然体な感じに感銘を受けました。
同じ趣向の方のお話も他のサイトで拝読しましたが、あすとろさんのような感じで書く方はいなくって、みんな「その部分」だけ書くんですよね。
どーして、そこばかりにこだわってしまうの!(しかたないことです)もっと登場人物にバックストーリーとかあったっていいはずなのに。
あすとろさんとのメールでそんなことを書いたりしたら「それなら○○さんも自分で書いてみたらどうですか?簡単ですよ」なんて返され、とんでもないと思いました。だって「そーゆーこと」をよく理解していないモグリなわたしだし、小学生の頃から作文類は苦手だったもん (。>ω<。)
・・・でも、彼の言葉はずっと気になっていて、学校とかでも窓の外をぼんやり見ながらなんとなく頭の中で考えているわたしがいました。。。
怖いモノ知らずとは存在そのものが怖い。「あすとろさんにならいいかー」と、へったくそな文章でへったくそなショートストーリーを書いてメールしました。一時間もしない間に返信があり、「作者不詳でぼくのサイトに載せます」って Σ (゚Д゚;) ムキョカデスカ・・・ あんなもの載せたら絶対にバカにされるに決まっているじゃないですかー!
ところが・・・
掲示板には意外な反響が (゚Д゚≡゚Д゚)
「こういうスタイルはいまだかつてなかったですね、誰ですか、この新人は」
それまで生きてきてほとんど人に褒められたことがなかったわたしは戸惑いました。そして戸惑いながらも「あんなモノで喜んでもらえるんなら!」と、またあすとろさん宛てに2編書いて送信。またしたしてもすぐに載せられ「業界」は騒然としてしまいました。
中でもQさんという方は熱血漢であすとろさんにすごい勢いで「紹介してください」と迫ったそうです。
気づけば、わたしはQさんのサイト専属の書き手になり、週一ペースで毎週ショートストーリーを送り続けることとなり、一躍「業界」の重鎮にされてしまって、もう何が何だか・・・。
でもとても楽しかった。。。


いつの世も楽しい時期は短いもの。
ウィルス騒動が勃発し、Qさんのサイトが炎上、閉鎖。あっさりわたしの物書きライフは終わることになり、こうしてわたしのへったくそなショートストーリーは葬られました。


それから何年経ったでしょう。少しはわたしも成長して大学生になり、物事の分別もつくようになりました。
mixiで何かコミュを立てたいと思い立ってほじくり返したのが中学生の頃に書いたショートストーリーのFD(FDですよ、FD) あまりの下手さにメマイすらして、当時はよくこんなもので褒めてもらえたものだと思いましたよ。それは「そーゆー部分」があったからマニアの方にウケていただけで、「そーゆー部分」をカットしたら評価してもらえるんだろうか?なんて思って、手直ししました。
「そーゆー部分」は当時他の人が書いたものをマネて無理にくっつけただけだから、簡単にカットできました。
そんな感じで、5編くらいをあっぷして、自作小説コミュを立てました。当時は大手のそういうコミュがひとつと小さなコミュが2〜3だけでした。競合するほどの業界じゃなかったんです。(その後、加熱急増加しましたが)
最初に参加してくださったのはマイミクさんで童話を書いていたき○○さんでした。そのうち、わたしの駄作を見た方々が「こんなのでいいんなら自分だって」といった感じで一ヶ月で50人くらいの参加者が集まって・・・。
中でも、副管理人になってくれたS木さんはわたしと同い年でコンビを組んで、コミュの形を形成することに協力してもらえました。
それぞれぞれの作者さん別にトピを分けて目次を作って・・・、小説以外にもイラスト参加者も歓迎したり、そちらも盛り上がったり雑談場は毎日賑わって、そこから各々マイミクさんつながりがひろがって・・・。
とても楽しかった。。。


それでもやはり楽しい時期は短いもの。
粘着おじさんにコミュを2ch晒しされ、非公開コミュにされることを余儀なくされました。その頃には100人を超えていた参加者の方も不穏な空気を感じて抜けてゆき、非公開では人はなかなか集まりません。コミュ内の動きも停滞。
実質潰されました。
mixiそのものでもわたしへの粘着は異常で、何度も入退会を繰り返しましたが、マイミクさんづてに見つけ出しては怪文書や脅迫を繰り返します。わたし叩きのブログをいくつも立ててはあちこちに宣伝したり。
もちろんアク禁にはしていましたが、彼はどんな方法かいくつも複アカウントを量産できるみたいで、キリがなくって・・・。
運営局に通報しても何もしてもらえません。だって彼はプレミア(有料)会員だったから。
もうmixiにもいられなくなりました。


行き場をなくしたわたしはこのブログを立ち上げました。目的はここのブログは本にできるから、書きようによって自作本を作れるからです。
一方、自分のショートストーリーのレベルがあまりに低いから、指南していただけたらと、「ふたば」の自作小説執筆スレに入ってみました。
その結果はこのブログにも残っていますね・・・、2009年12月あたりに。
2回目まではよかったのですが、3度目にひどく叩かれ追い出されました。下手なのは自覚していましたけど、ショートストーリーそのものより「女のクセに!」「女だってだけで持ち上げられて!」「女の来るとこじゃない!」みたいに性別で差別されたことが悔しかった。
とうとうわたしは書けなくなりました。
文章を検索にかけられ、このブログもスレに晒され、そうして「ソフィアは荒し」の烙印を押されてしまいます。
色々あってわたしは、パソコンそのものを手放すことに。
ブログは閉鎖しようとしたけど、方法がわかりません。YAHOO!の知恵袋でも同様の相談が多数ありましたが、回答通りにできず、残ることになってしまいました。


宙ぶらりんな状態。
そんな時に救いの提案を差し伸べてくれたのが愛すべき友達コープランドさん*.゚゚・*:.。..。・:*.゚
「それならわたしのパソコンで更新すればいい。ただし管理はわたしに一任させてもらう。内容はmixiでやっていた、エッセイもどきのことでも書いたらどうだ?」
そして、みつさんがmixiでわたしのマイミクだった方々に向けてこのブログの所在を明かしたらしく、ブログには来客さんも来てくれるようになりました。でも、炎上を嫌ったコープランドさんに、コメント欄は閉じることを条件とさせられましたが・・・。
それがいいです。
こうして振り返ってみると、わたしはいつもトラブルメーカーでしたから。そんなつもりはなくっても、毎回知らない間にそんな流れになってしまうんです。


だから


これ以上繰り返すことは避けたいのです。もう荒しの烙印はいりませんから。。。