偽随筆 ・ 過去というものは・・・










ちあきなおみ / 喝采


はい、有名な昭和歌謡ですね。
でも有名でよく耳にするからといって、侮ってはならないのです!この歌詞ってすごいって思います。
「視点」の切り替えが巧みなのです。現在、思い出、そしてまた現在に戻ってくるという、「ひなびた街の昼下がり」のところがすごくいいんです (゚_゚i) タラ-
過去を振り切って、夢を選択した「彼女」の元に知らされた一通の葉書からはじまり、最後はまたそれでも「いつものように」日常活動を続けるのです、なにかしら矛盾をしながらも・・・。



売れっ子歌手になって喝采を浴びる「彼女」に、果たして、恋の歌を歌う資格があるのだろうか・・・?
文学的で考えさせられる歌詞なのです (;−"−) ウーム・・・











マリー・ローランサン『鎮静剤』


退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女です。
悲しい女より もっと哀れなのは 不幸な女です。
不幸な女より もっと哀れなのは 病気の女です。
病気の女より もっと哀れなのは 捨てられた女です。
捨てられた女より もっと哀れなのは よるべない女です。
よるべない女より もっと哀れなのは 追われた女です。
追われた女より もっと哀れなのは 死んだ女です。
死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です。




改めましてこんにちは、ソフィアなのです。
これもまた有名な詩ですよね。(「よるべない」はわかりにくいですが、頼れる人がいないという意味です)
やはり印象的なのは、死んでしまうことが最も哀れかと思ったら、「もっと哀れなのは 忘れられた女です」という部分ですね。死んでも生きている人の心の中にいる方がまだ哀れでないという・・・。
確かにそうかもしれません。
全てを無にされてしまうことは悲しいことなのです。


さて、もう一歩踏み込んで考え、そうは言ってもどうなのでしょうね?
自分視点でばかり語っていないで、自らはどうなんだろう、って。
忘れてしまいたい人や、忘れてしまいたい過去なんて誰だって山ほどあるはずなんです。わたしもたくさんあります。
そんなで自分は忘れられたくないって、エゴなのでは?と、あまのじゃく的な考え方もしてしまうのですよ。


例えば、昔自分が言われたりされたりして、すっごくイヤな想いをしてトラウマになっていたりしたとします。やった相手に対して、「あの時の罪の重さを今になって、自分の醜さを思い知るがいい」なんて、一方的なんですよね。相手の人はカケラも覚えていません、しゃーしゃーと生きています。
それどころか、同じようなことを繰り返していたりするものでしょう。


「死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です」
こんなふうに詩にしてしまえば悲劇的ですが、過去なんて儚いものなんです。みんなどんどん、過去を切り捨て忘れて生きてゆくのでしょう。自分自身の「傷」は忘れずにいても。
過去の過ちなんかを全部背負っていたら身がもちません。過ちと正面向かって対峙したら、身が引き裂かれるほどの罪悪感にみまわれてしまったり、恥ずかしい過去を思い出して、わめきながら部屋じゅうをドシンバタンと暴れたくなってしまったり・・・。
生きてゆく上では、現在や未来が重要なんです。あれはしかたなかったと忘れるしかないのです。


人間に限ったことでもないでしょう。ライオンが過去に殺して食べたシマウマを覚えているでしょうか?惜しくも逃した獲物は覚えているかもしれませんが・・・。


井の中の蛙」ならぬ、「胃の中のおかず」
食べてしまえばもう次の食べ物。
なんか、ばっちいこと書いてますが ( ̄▽ ̄|||)


だからなんでしょうね、内戦や海外問題でもめたりしてしまうのは。人間のすることですから、過去に同じようなことがあったなんて考えたりはしません。何度だって繰り返します。
イスラム国で、反体制の兵士が惨殺されて街中で晒し首とか。ナニやってんですか、あそこの人はー!だから宗教は嫌いなんです。
お話が大きくなってしまいました。。。(-_-)