偽随筆 ・ だらだらと・・・















谷山浩子 / カントリーガール


ある意味とても貴重な音源です。
と言うのもこの曲、だいたいハッピーエンドの4番までが一般的とされているんです。これは(多分)世に初めて出た時のシングルバージョンです。バッドエンドなんです。
わたしが小学1〜2年生くらいの頃は、ラジカセで(ラジカセよ、CD付きラジカセ ^^;)FM放送を聴いているのが好きだったのね。お休みの日とかは、TVよりFM放送聴いている方が落ち着く子供だったみたいです。聴いていると言っても、あまり真剣に向かっていたんじゃなくって、何か一人遊びしながら聞き流している感じだったんだけど。だからTVよりラジオ放送の方が好きだったんだと思います。
そんで、その時にたまたまこの曲を聴いて好きになったのね。その時に流れていたのがこのバージョンだったと思うんです。奇しくも数ヶ月後(と思う)に、従兄弟のお兄さんのところに行った時、お兄さん自作のCDでこの曲がかかってすっごい偶然なんだけど「このお歌何!」ってすぐに聞いて・・・。
谷山浩子さんとはそんな運命的な出会いだったんです。
お兄さんはなぜか嬉々として、1st〜6thまでのCDをカセットテープにコピーしてくれました。「カントリーガール」を含むアルバム未収録曲も一緒に。でも、それはハッピーエンドバージョンで「なんか違う・・・」と生意気にも感じたりしたんですけどね (^_^)



とにかく、この方の声が好きでした、今でもこの方以上の美声の持ち主を知りません。ただ、ちょっと前にも書いたけど、ライブがねぇ〜・・・。
高音質でこのバージョンは貴重だけど、おそらくすぐに削除されてしまうでしょうね・・・ ( ̄、 ̄*) ムカシハ、カンタンニホゾンデキタノニ・・・

















改めましてこんにちは、ソフィアなのです。
今回、学生だった頃mixiでよくやっていましたが、特にテーマを決めずに気ままに書き散らしてみます φ⊂(´ω`⊂⌒⊃"


卒業シーズンも過ぎ、そろそろ入学・入社時期なのですが、おじさまスレで卒業ソングの流れがあったから、ちょっと卒業というモノを思い出してみたいと思います。
小中学校の卒業式は泣きませんでした。
小学校を卒業しても同じ顔ぶれでそのまま中学生になるのに、泣く意味がわかりませんでした。あれは空気に泣かされていたんじゃないかなぁ。。。
わたしはそのへんドライでしたよ。ただ、この校舎に入ることはもうないんだなぁ、って思ったくらいで。
中学生の卒業式は早く帰りたかったですね。中学生の頃はいい思い出なんてほとんどなかったですから。ウチの中学はイジメが盛んで、イジワルされたコと会わなくて済むと思ったら、せいせいしたくらいです。
高校の卒業式は泣いた。
仲良し4人組(本当は5人だったけど、一人抹消しました)とお別れするのが悲しくって。コープランドさんに「高校出てもいつだって会えるじゃん」となだめられたりしたものでした。
今回のTOP画像である「らき☆すた」ですが、大学生の時に放送していました。1年生だったか、2年生だったかなぁ・・・。
ここにある4人では、背丈はこなたちゃんですけど、わたしはキャラクター的につかさちゃんの位置だった気がします。
コープランドさんはかがみちゃんで、千明ちゃんがこなたちゃん、ふーちゃんはメガネっ子じゃないけどみゆきちゃんの位置になるのかな?
コープランドさんの言葉通り、別々の大学に進学しても定期的に集まって遊びましたよ。
今でもそうなんだけど、高校の同級生と会うと、いくつになっても高校生にもどってしまうんです。


そーいえば、ふーちゃんとはずいぶん会っていません。
結婚問題でごたごたしているみたいだから、なんか連絡しにくくって・・・。結婚って、本人同士だけじゃなくって家同士の結婚でもあるんですよね、困ったことに。
まさかこのまま疎遠になるなんて考えていませんから、またそのうち女子会で集まりたいって思っています。ふーちゃんは高校の時にできた最初のお友達で、ずいぶんお世話になったりしましたし。いいコなんですよ、本当に。


さてさて、おじさまスレで尾崎亜美さんの「春の予感」が貼られていましたが、この曲を知ったのはもちろん大学生の時の師匠教育でなんですが、なんて言うか、不思議な気分になる曲ですよね。もちろん、ちょうど今くらいの気候の時に聴くのがベストなんですけど。
春の気だるくて天気のいい日に、お日様にまどろんでいたりするとそのまま異世界に流されてしまう感じです。春というのは、どこか狂気を含んでいる気がするんです。「狂気」なんて言い方すると語弊がありますが、普通じゃない感じなんですよね。
今回の曲は谷山浩子さんでしたが、彼女の曲に「ここは春の国」という曲がありますが、あれなんて本当に春なんです。
「あれは、なんですか〜?」「あれは『ひねもす』ですよ」「ひねもすって、何ですか〜?」「知りませんか〜?」「知りませんねぇ〜」
そんな感じの狂気です。


桜の開花宣言も出て、しばらくすれば満開になる季節です。
満開の桜を見上げていると、わたしはそのまま発狂しそうな気さえするほど華やかで。キレイに咲いた桜の下には死体が埋まっているとはよく言ったものですね。


なんかこんなこと書いているのもアレなんですけど (^ω^;) だらだらですから。


あ、そういえば「眠れる教室の喪女」の2巻が出ました。が、男子キャラが固定化されたらつまんなくなりました。
もこっちさんの便乗マンガなんだけど、本家の方は男子キャラを固定させていません。弟の智貴くんくらいで。だから面白いんです。
男子キャラが固定化されてしまうと、恋愛モノ要素が強くなってしまってギャグがかすんでしまいます。
そう思っていたら、2巻で完結しました。
いいんじゃないでしょうか?


逆に広げた風呂敷をしっかり畳んで回収できるのか心配なのが、アニメや実写映画にもなっている「暗殺教室」ですね。殺せんせーをいい人(?)にしすぎてしまっているし、そもそも学園の理事長が何を考えているのか不明なままです。次々に現れる「最強」の殺し屋も、一戦終われば見かけ倒し的な様相になってしまっているのも・・・。
島本先生の例のマンガにあるように「なんで着地させる必要があるの?毎回、読者に楽しんでもらえばいいじゃん」みたいな感じになっている気がしてなりません。
下手に伏線を回収するより、ジャーマンにして「残りあと○○日」で終わらせた方がみっともなくないかもしれませんね。
それとも、作者の方はすでに完結までのストーリーをもう考えてあるのでしょうか?


ストーリー的なお話をすれば、今回の曲なんていい例です。
ハリウッド映画はほとんどハッピーエンドですよね。それは確かに観ている時は爽快感があって「よかった、よかった」と思うものかもしれません。でも、後に残らないんです。忘れてしまいます。
バッドエンドで終わったお話は後味が悪いけど、忘れないものです。ツァイガルニク効果ですね。
PS2の名作ゲーム「ICO」。前にも書いた覚えがありますが、せっかくいい感じの悲しい終わり方をしたのに、ヒロインが生きて浜辺に打ち寄せられているところでシラけてしまいました。
一説によると、本来はあの終わり「ICOは悲しみを心に刻んで大人として成長してゆく」みたいなラストだったそうですが、海外向けにするためヒロインが生きていたエンドにしてしまったとか。アメリカの人って「日本のアニメは大変おもしろいけど、終わりは主人公が死んでしまう」と不満をこぼすそうです。そんなの国民性の違いだからいいじゃないですかー。
わたしは、その場の快楽感や爽快感より、後々心に残る物語の方を選びたいです。
断固・・・、ダンコ・・・・ (・`ω´・)ノ