偽随筆 ・ それでも平気と言い張る弱さ























THE BLUE HEARTS / 青空】


やられました ( ̄▽ ̄|||)
ばっちい相方の人が貼っていた動画なんですけどね、失笑してしまいましたよ・・・。





ピストルズの影響を多分に受けている方ですから、こういうパフォーマンスもわかるのですが、この曲でやってしまうかなぁ。。。
「こういう人を出演させていいのか」とか、「身障者を揶揄していませんか?」なんて苦情が来たのでしょうね。「本物」と思ってしまっての問い合わせも多かったのではないかと (^ω^;) ・・・スゴイ、カオ





















改めましてこんにちは、ソフィアなのです。
もう気づけば12月、月日の流れは早いものです。年齢を重ねると時間感覚が鈍くなり、月日の流れが早く感じるものだそうです。
つまり、どんどん早くなってゆくのでしょうね、子供の頃の一年ってすごく長く感じたものですから。


あるマンガのセリフで、老年の刑事さんが「ワシは若い頃の思い出はみんな楽しかったと思うよ」なんてのがありましたが、さすがにまだそんな境地まで達してはいません。
それでも、当時は大変だったりイヤだった思い出が微笑ましくなるというのは確かにあります。
悪い思い出が微笑ましくなる場合とトラウマとして残る場合があるみたいですが、その違いはどんなところで決まるのか・・・?
わたしは「悪意の有無」だと思います。
悪い思い出に人の悪意を含んでいるとトラウマ化し、そうでない場合は「あの時は大変だったなぁ」と思い出してそれを乗り越えてきた自分にちょっとうれしくなります。


でも、人によってはそうとも限らないでしょう。
よく聞くのは、子供の頃にイジメていた人とイジメられていた人は大人になってからは、イジメていた人の方が気まずいそうです。「オマエにはよくイジメられたなぁ、おい」と、やられていた人の方が強い立場になるとか。
わたしはイヤですね、イジメられ側でしたけど、そういう人とばったり出会ってしまうのは。ですからお互い無視する感じになります。傷つくことばかり上手になって、それは今でも同じです。誰かにイヤな言い方をされたらずっとひきずってしまいます。
もうね、これは治らないんだと思うんですよね。
そう思えば、学生だった頃はまだ「戦って」いた気がします。人間が怖いけど、でも誰かと仲良くなりたいって気持ちはあって。だけど、傷つけられてしまって・・・。
高校まではそんな感じでした。わたしなりに、高校生になったらもっと強くならなきゃって思いもあったし、それに出会った人たちもいい人物ばかりでラッキーでもありました。でも、その反面まだ昔からの自分もいて、その両極がバランスをとれてきたのは大学を出る頃になってしまいましたけど。
人間と一言で言っても、色んなタイプの人がいて、それを受け取る側も色んな感じ方をするから。同じ人でも評価は人によって変わってくるものなのでしょう。それに同じ人でも色んな面・・・、顔を持っていたりします。それがわかってからですね、なんかバランスがとれたのは。・・・そこには諦観のようなものもありますが。


傷つけるのも人間、癒すのも人間。
今回の動画の曲だけど、本当はちょっとせつない思い出のある曲だったんですよね (*´Д`) ダカラ、ヒキズルタイプナノヨ でも、ばっちい相方さんが記憶の上書きをしてくれました。
言葉は凶器、文字も凶器。でも、分解すればひとつの発音であったり、一文字の連なりなんですよね。
そう考えたら、どんな文学的名作でも文字の羅列にすぎません。なんかおかしいですよね。物質を分解してゆけば分子、原子になるみたいな。
どう並べるかによって、全く違ったモノになってしまいます。当たり前だけどね。
かつて「弱い人間は回りの人を傷つける」と言った方がいました、ネット上で。すぐさまわたしは「強い人間も回りの人を傷つけますけどね」と皮肉混じりに言い返しました。こういうのって平行線で、結局は交わりません。それぞれの考え方だもの。
どんなことがあって、どう言われても結論づけるのは最終的には「自身」でしかないんですよね。自己治癒力。


そんな感じかな。