偽随筆 ・ 言葉の時間と緯度経度

























【黒色すみれ / たんぽぽ】
以前にも貼った記憶があるような気がしますが、あえて (^_^) ワケアリデス



詞は北原白秋さんの同タイトルのものです。つまり、それに曲をつけたという。
こういう音源はピアノ・ボーカルとバイオリンの二人組という本来の姿でいいですよね。CD音源ですとどうしてもさちさんのバイオリンがバックバンドに吸収されてしまいますから。
途中でカメラの操作ミスで画面が緑になってしまったのはとても残念です・・・ (;−"−)





















改めましてこんにちは、ソフィアなのです。
合作小説活動もひとつの山場です。わたしの連作モノに相方のばっちいストーリーも混ぜ、混然一体となって最終話、最後は純文学風で悲劇的に終りますが、こういう終わり方はわたし好みなの ( ´艸`) ツァイガルニク効果で「残りやすい」んですよ、後味が悪い方が。
それで、最終話ばかりはわたしの独断場で相方の出番はないかな?と思っていましたが、あの人は策士です。ちゃんと考えていたみたいです。
「ラストにこの詞のこの部分をつけ加えましょう、そしてED曲です!」
なんてことでしょう!小説にED曲だなんて。・・・まぁ、すでに誰かやってはいると思いますがこの手法はネット小説にしかできない合わせ技です。文庫本から音楽は流れてきませんからね。
「ネット小説でしかできない利点は最大限に利用しましょう」
それが今回貼りつけた曲です。サブヒロインが19歳で他界したことと、草花好きという点が符合します。「君と並びし 帰り路に 今日も入り日は暮れてゆく」という締めが効いています。
あの相方と組んだのは大正解だったみたいです (゚_゚i)
・・・ここでもちょっと適当なのがあればつけ加えてみよう =゚ω゚)=3


その相方との雑談で「グリコの『ひとつぶ、300メートル』ってキャッチコピーあるじゃないですか。ひとつぶで300メートル走れるエネルギーという意味だと思いますが、現代では逆効果、ひとつぶ食べてしまったら300メートル走らないとカロリー消費できないという意味になってしまいます」なんて言うのね、わたしの絶望先生が (^ω^;) そういえばダイエットとかしていたもんね。今もリバウンドしないように続けているみたいですけど、あんなに細いのに。
時代の流れで意味合いが変ってしまうみたいです。300メートル走るって、結構大変だったりする気がします。いつ頃からかほとんど走ることなんてなくなりましたから。


先に出した北原白秋さんは大正時代だったかな?だいたい100年前くらい。
もし100年前の大正時代の方とタイムマシーンで会ってお話したら、意味は通じても言葉の齟齬は大きいのではないでしょうか?たった100年で、ですよ?
もっと昔の戦国時代や平安時代とかでは会話が成立しなくなるんじゃないかなぁ・・・、同じ日本語なのに。
言葉の変化ってどうやって生じるのでしょうね?流行り言葉が標準語化されるのかな?
もっと言えば、同じこの時代のこの日本、地域の方言丸出しで話されたら ?(゚_。)?(。_゚)? な言葉も多いと思います。ほんの少し緯度経度がズレただけなのに。
・・・日本だけでしょうか?外国語はどうなっているのでしょう?中国は大きく北京語と広東語に分れるみたいですが、あれだけ広い国土ですからね。上海や香港ではまた違ったり。
フィリピンも多くの言語が混在していると聞いたことがありますが、それは歴史上でのことで自然な流れとは違うでしょう。
英語もアメリカとイギリスでは若干違うと思いますが、意味が通じないほどでもないと思います。アメリカはあの国土で東西の言葉が普通に通用してしまうのは、日本の方言から考えたらすごいんじゃないかなぁ。。。そもそも、スラングは別として、友達と話す言葉とすごく目上の人と話す言葉がだいたい同じというのがすごい ( ̄m ̄*) イメージ的に大味な国ですから、日本のような繊細さがないからだと思うんですけどね。
それとも日本人は流行りに流されやすい国民性なのでしょうか (^ω^;) 50年、たった50年前の人に「ダセえ」と言って通じますか?逆も然り、相手をさす「キサン」なんて言葉変換でも出てきませんよ。これは方言的なものもあるかもですが、たまに聞く言葉です。
誰ですか、「拙者」とか「それがし」とか最初に言い出したのは。誰ですか、「わたし」とか「ぼく」とか「オレ」とか「オイラ」とか言いだしたのは?絶対に最初ってのがあるはずです。

グリコさんも「ひとつぶ300メートル」というキャッチコピーをそろそろなんとかしなきゃかもですね。肥満児は学校でイジメられますよ。わたしみたいなガリガリもアレでしたけど (^_^)