続・願い事ひとつだけ





「兄ちゃん!…兄ちゃん!」
聞き覚えのある声にオレはガバッと起き、辺りを見回した。
「ここや、ここ。ごっつ久しぶりやな」
「妖精のおっさん!」
相変わらずのステテコ姿を見つけると、飛びつかんばかりに這い寄った。
忘れようたって忘れられない。なにしろあの時はバカらしい記憶を消し損ねてしまったのだから。
「会いたかったぜ、ちくしょう!」
身の丈が普通の人間ほどであるのなら抱きつきたいところだが、あの時と同じように指ほどの大きさだ。
「なんや、気色悪いな」
「まあ、そう言うなって。何年経つんだ、あれから」
オレの記憶も曖昧になっている。あれからずいぶんと色んな事があったものだ。
「どうやろなぁ…。それにしてもなんか老けたなぁ、兄ちゃん」
「う、うるせえよ。人間は時間が経てば年をとるものなんだから」
おっさんは昔のままのおっさんだ。何も変わっていない。
「とにかく…、また来てくれたんだな。いつもの気まぐれなんだろうけど」
「せや、ワシの気まぐれや。なーんか知らんけど来てもうたわ」
おっさんもどういうわけか困惑顔で頭を掻いた。自分でもどうして来てしまったのかわからないような様子に見える。
「オレだよ、オレ。実はオレが呼んだんだよ」
「んなアホな、そないなことはでけへんはずやで。魔法のランプもないし、兄ちゃんはご主人様でもないわ」
「でもこうして来ているじゃないか。……ここしばらくおっさんを思い出して、また来ないものかと思っていたんだ」
オレも願えば叶うとは本気で考えてもいなかったのだが。もしかしたら、あの時のロクでもない願いはあんまりだということで『おっさんにもう一度来て欲しい』という形で「ひとつだけの願い」が叶ったのかもしれないと思った。…誰が叶えた、って話にもなってしまうのだが。
とにかくぼんやりと考えていたことが実現したんだ。
「…叶えてくれるんだろ、願い事」
「そうやな。ようわからんけど、こうして来たったからにはしゃあないなぁ。それに今回はまだ夜中や、考える時間はあるで」
「いや…、時間はとらせない、もう決まっているんだから」
「なるほどなぁ、せやからワシが来んもんかって思っとたっちゅうこっちゃな」
オレは黙ってうなづいた。
「ええんか?ひとつや、願いはひとつしか叶えへんで。前ん時みたいにうっかりふたつ叶えるなんてのはなしやで」
「あぁ、それで充分だ」
「なんや、今回はじっくり考えたみたいやな」
「いや…、そういうわけじゃ…。もうこれしかないって願いがどうしてもあって」
おっさんはしげしげとオレの顔を見つめた後ゆっくりと腰を下ろし、あぐらをかいた。腕組みしてしばらく沈黙するとゆっくりと聞き出す。
「ほんなら、聞こか。…兄ちゃんの願いはなんや?」
「うん、よく聞いてほしい。オレの存在を消してほしいんだ。そうしてオレは始めっからこの世に存在しなかった、そんな感じで頼む」
さすがにおっさんは意外そうな顔をしてオレを見た。
「わかるか?つまりオレを知る人みんなの記憶にも残らず、所有していたものや存在していた形跡も全てなくして欲しいんだ」
身振り手振りを交えながら言うだけ言うと返答を待った。
おっさんはどこからかタバコ…、ハイライトか?いかにもだがそれを出し火をつけ一息吐くと、今までにない真剣な劇画タッチの顔で尋ね返した。
「それが…、どういうことかわかっとるんやろな」
「もちろん。オレのひとつだけの願いだからな。おっさんの叶え方はインチキじゃないってのは前の時にわかったことだし」
「…兄ちゃんは『無』になるんやで、なんも残らんのやで」
ちょっと別の心配がよぎった。
「まさか、できないなんて言うんじゃないだろうな、あとスゲエ痛みや苦しさがあるとか」
「できるわい!ナメたらアカンで、ワシに不可能はないし苦痛もない。一瞬や。もちろんインチキもないわ」
それを聞いて安堵した。「それは適用外」とか言われる心配があったり、死ぬほどの苦痛を伴うのかもしれないと考えていた。
しばらくの間、沈黙が続く。
タバコをもみ消すとおっさんがゆっくりと話し出した。
「何があったかは……」
言いかけて少し辺りを見回す。
「まぁ聞かんといたる。けどな、後悔もでけへんで、兄ちゃんは消えてしもうとるんやから」
「だからいいんじゃないか」
「まぁ…、そやな。確かに…、その通りや…、うん、その通りや」
「後悔があるのなら今だよ。だけどオレはそう決めたんだ」
おっさんは腕組みしたまま考え込んでいる。顔を上げ、宙に視線を漂わせた。
「……始めてやないかもしれへんなぁ」
「同じ願いをしたヤツがいたのか?」
おっさんはなんとも複雑な顔になってまた頭を掻いた。
「それがわからんのやなぁ。だって、せやろ?最初から存在せぇへんかったってことは叶えた後、ワシの記憶からも消えとるんやからな。それにな、……まぁええわ」
なるほど、確かにそうだ。
もしかしたら、このおっさんは何人、何十人、何百人もの存在を消してきているかもしれない。ひとつだけの願いなんて、実益的なことではとても足るものじゃない。
他の誰かがすでに言っていたって不思議じゃない、こんな世の中だ。
おっさんも何か心当たりがありそうにも見える。
「もうええわ。考えとったらなんかワシ、ここんとこシワが増えそうや」
そう言って額を指差した。
「うん…。正直、オレもできるだけ早くやって欲しいんだ。せっかくの決心が曇ってしまうかもしれないから」
おっさんはかいたあぐらの膝を軽く叩くと立ち上がった。
「ワシもあんまり気ぃ進まんけど仕事やしな、しゃあないな」
「………ありがとう、恩にきる。頼むぜ」
「まかしとき、兄ちゃん」


これでいいんだ。
決心に曇りはない。オレは生まれてこなかった。友達や知人、親にでさえオレがこの世にいたことは全てキレイに記憶から消える。それがどんな世の中なのかなんて関係ないことだ。
ある意味、これが本当の『自由』なのかもしれない。
そうだ、『無こそが自由』。つきつめて考えればそうなる。存在するとなると、必ず何かしらの制約がついてくるは



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「ほえ?なんやなんでワシ、こないなとこにおるんやろ?……こんな薄汚い牢屋ん中に…」