偽随筆 ・ 小山田いく先生の訃報















さだまさし / 案山子】
















小山田いく先生の訃報を知り、ちょっと落ち着かないショックを受けています。


わたしがホラー系少女マンガとか読んでいた頃に知ったマンガ家さんですが、当時巷では「この人のマンガって怖くないよねー」という声が多かったです。
その頃のホラーはスプラッター系やおどかし系が多く、彼はホラーに風情を盛り込む作風で異彩を放っていました。
わたしは嫌いではなかったですが、やっぱり怖くはなかったです。
そんな中「古臭いよね」という声もあったのですが、それもそのはずデビューしてからずいぶんになり、作風と時代が一致していたのはデビュー当時の80年代だったようなのですから。


大学生になり、師匠と出会い、昭和文化の「教育」を受ける中で小山田先生とはよく「顔を合わせた」ものでした。やはり、当時は精力的に描いていたようで。
「いかにも80年代な人やな」と師匠。ちょっとかなり恥ずかしいようなことを堂々と描いていたあたりに時代を感じたものでした。
故郷、長野県小諸市をこよなく愛し、地元を舞台にしたマンガが多かった気がします。あれだけ推されると、一度小諸市に行ってみたいって気にもなりましたよ。


そんなに多くの作品を知ってはいないのですが、わたし的にはこれまでで最も認知度の高いマンガ家さんの訃報です。水木しげる先生の時も驚きました、水木先生は死なないって思っていましたから。でも、お年がお年でしたし・・・。小山田先生はまだ59才という年齢で亡くなりました。早すぎる死です。
現時点での詳細はまだ公表されてはいません。実弟のやはりマンガ家である田上 喜久先生のツイッータでの告知で一報が入りましたが、自殺とかじゃないようですね。マンガ家さんってなぜか自殺率が高いんですから。病気による孤独死らしいのですが、それはそれで・・・。
悪意で言うのではなく「偉大なる二流マンガ家」という位置づけではなかったのでしょうか?根強いファンや隠れファンが多くいたり、特に大きくヒットした作品はなくとも、現在でもその名をよく目にします。
わりとコミカルなお話も描いていたみたいですが、常にどこか「陰」を感じる方でもありました。そんな気がします。


当時、あだち充先生がいなかったら・・・、その代わりに大ヒット作家さんになっていたのかもしれないです。こういう不運ってあるんですよね。
落ち着かないのは、そんなもやもやした感じや「そのうちにまとめて読もう」と思いつつも、ずっとそのままになってしまっていたからかもしれません。わたし自身、どこまで思い入れがあったのかも不明瞭なくらいなのです。それでも、よく先々で見かけるマンガ家さんでしたから、身近な感じはするのですよね。。。


改めてご冥福をお祈り致します。