偽随筆 ・ 言葉の変遷
わたしたちの頃には、もうこのローラーは学校で「コンダラ」と呼ばれていました。
最初からそういう名詞だと思っていたんです、どこかの国の外来語かと。
寒くなってまいりました。
お雑煮に一部からの定評があったわたしですが、一緒に暮らすようになるとバレてしまうものですね。ええ、はい。ずっと人様にお召し上がりになっていただく用に作っていました。
でも、わたし自身が好きなお雑煮はそうではありません、おダシは三日くらい使います。ドロドロになるまで。
実家でもね、言われていたんですよ「捨てなさい」って。でもわたしはそれが好きだから。
三人で暮らすようになってからも同じです。みんなが食べた後の汁でわたしだけのお雑煮を作ります。とにかくおモチを煮込みます。
「前世は魔女とかだな」と揶揄されてもぐつぐつ煮込みます。
あぁあ、そうだよ。ごらん、おモチが崩れて溶けだしただろ、こうなってからがおいしいのさ、イーヒッヒッヒッ。
色合いを見て、お水を足してしょっぱくならないようにする加減が難しいんですよね、ドロドロ感を残すように。
いきなり関係ないお話をしましたが、今回のテーマは前にも書いた気がしますが言葉の移り変わりです。
きっかけは「老若男女」って言葉あるじゃないですか。この言葉って文字では見かけますが、日常会話ではほぼ使わないですよね。
普段使わないのはやはり発音に問題があるからだと思うんですよね。言いにくいからかんだりしそうでみんな別の言葉を使うと思うんです。
なんなんですか、「ろうにゃくなんにょ」って。
「男女」を「なんにょ」はまだわからなくもないです。「長男、次男」とかで「なん」って使うから。・・・他で「なん」って使う言葉がすぐには思いつきませんが。「にょ」も「にょにん」とか「にょたい」とかで言いますね。
でも「だんじょ」でいいじゃないですか!だ・ん・じょ!
もっとわからないのは「老」はそのままでいいとして「にゃく」って。「じゃく」でしょ、普通。「じゃくねん」とか「じゃっかん」とか・・・。なぜ「じゃ」ではなく「にゃ」なんですか、猫になるんですか。
昔の人は普段でも「ろうにゃくなんにょ」って口にしていたのでしょうか?
そうだとしても、時代と共に言葉は変わってゆくものです。広辞苑だって更新されます。あ、改訂ですね。
誰か言語学者さんの重鎮が「これからは『ろうじゃくだんじょ』とする!だって言いにくいもんね」って言い出せばいいのに。
そうして思ったのですが、現代語がいつの時代まで通じるのでしょう?
江戸時代で現代語って、きっと日本語として認めてもらえないですよね。その先の時代はもう通じないとして、では通じるのは何年前くらいまで?なんて思ってしまったんですよ。
また、その年代では使われていた学生言葉が現代では残らなかったとか、たくさんあると思います。もちろん、その当時言い始めて現代でも使われる言葉もあり、それが日本語として認められ、広辞苑にも載るのです。
さらに通信がめざましく発達した現代では、より多くの言葉が作られ消えています。
そうですね、例えば以前あるマンガ家さんの昔書いた自己紹介文を見た時、冒頭で「漏れは~」なんて書いていたりして、あーやっちゃったなぁと思いましたよ。
発音した言葉は消えますが、残る媒体で新しい言葉は使わない方がいいです。学生さんは卒業文集なんて危険ですよ。
そうそう。確信犯って言葉も変なんですよ。
世間では「悪いことと知っていての行為」という使われ方をされますが、本来は「正しいことをしているつもりがそうではない」というものだそうです。
あまりに誤用されるから、どっちも正しい意味ということになっているそうです。
ひとつの言葉が正反対な二つの意味を持つって・・・ (;-"-)
そもそも言葉なんて同じ時代でも、緯度経度が少しズレれば変わるものです。
ちょっと離れた市に在住の方が「しとなっとる」とよく使って「?」と思ったのですが「成長している」という意味だと最近はっきりしました。
そんなものです。
青森や鹿児島の方が本気でお国言葉で話したらとても理解できないでしょう。
アメリカとかどうなんでしょうね?東部と西部ではそんなに違いはないと思いますが。
中国はわりとそのへんが違うみたいですね。
まあ、そんな広い国土ならわかりますが、日本のような狭い範囲で言葉が通じないっていかがなものでしょう?日本語ってスラングで成り立っているような気さえします。
単一民族なのに、世界的に珍しいのではないでしょうか?
言語学者さんも大変だー。
でも「ろうじゃくだんじょ」、これはどうかしてください!